月の葉っぱ

夜明けはもうすぐそこに。

おくりもの

2017年の自分から、

2018年の自分へおくりもの

 

なにを贈ろうか考えてみる

 

いっしょに笑ってくれた友達の笑顔?

一年の中で変われたこと?成長できたこと?

2017年の良かったことシリーズ?

 

なにがいいかな、

とりあえず、

今日までの2017年をふりかえってみよう。

 

1回目はなにも見ずに、

2回目は手帳を見ながら。

 

その時なにをなやんでいたのかな、

あの時なにをかんがえていたのかな、

 

そうやって自分の考えていたことを知る。

 

そうだ、

自分がもらっていちばんうれしいもの、

それは手紙だ!

 

2017年、こんなことがんばったよ

2018年はこのことをがんばってほしいな

それと、

どんな自分になってほしいか、という目標

そして最後に、

毎日を後悔しないように、

毎日ひとつ何かを学んで、

あとは笑って過ごしてねってこと。

 

書いていたときの気持ちも同封して、

2018年の自分を待つ。

 

よし、これでいこう。

 

おくりものは手紙ひとつ、

それだけでいい、それだけでいいや。

 

あとは、

今年いっしょに過ごした手帳も、

大切なおくりもののひとつ。

毎日成長することにつかれたら、

手帳をふりかえってみる。

この頃から変われたな、とか

この言葉、今の自分にぴったりだ、とか。

 

2018年の自分からは、

真っ白なキャンバスをもらう。

 

毎日すこしずつ点を描いて、

その年の作品をつくる。

まだなんにも描かれていないキャンバス

2018年はどんな絵が描けるだろう?

心のうきうきがとまらない。

 

atamatokokoro.hatenablog.com

 

 今年はどんな絵が描けたかな?

12月、どんな絵を付け加えよう?

 

おくりもの、

自分に、家族に、友達に。

 

なにをおくろうか、

どんなおくりものがいいか、

かんがえてみることはきっと楽しい。

 

今日も、今日がおわります。

明日に早く会うために、

ふとんをかぶって、

おやすみなさい。

 

 

もう、はじまりはすぐそばに。

 

 

 

 

~大山崎山荘美術館、有元利夫展~ただのおもいつきメモ!

 

大山崎山荘美術館へ行ってきました!

自分のメモ用としてまとめておきます。

(見ている有識者の方がおられたら

申し訳ありません…無視してください…)

 

 彼の作品は「観るものを時間や存在を忘れさせる空間へ誘う」と書かれてありました。

 

見てきた流れで、メモのまとめです。

 

 ……

 

らせんをえがく立体的なたてものに、

花がひらひら落ちてきた《花降る日》

 

《真夜中の占い》と《花降る森》、

両方にあった青い四角のプレート

 

とうめいの青にこめた神聖な力?

 

厳格な雰囲気から

ひょこっと、ひとりひょうきんに出てきた

monodrama、《1人の芝居》

 

ひとりが上空に浮かんでいた《ロンド》

不安になるような、少しこわくなるような

そんな世界観

 

《 花咲く頃》、は

筆触がめだってぼこぼこしている

 

《真夜中の室内》、

カーテンから外は神聖な夜が広がっている

 

《送る夜》に《七夕の夜》

両方に格子盤がある

これは、なんだろう

夜を数えているのだろうか

 

《7つの音》では、

1つの音がピックアップされていた

お気に入りの音を味わっているのかな?

 

室内楽》にもまた

テーブルの上にかけられた白いクロスに

格子盤

 

赤い音をはじいて、はずむ音楽

体の後ろは空、音楽で広がる世界ってこと?

はだかなのは、音楽で解放される心を表しているのだろうか

 

《夜の森》には一本の白い光の線

上から下へ、画面を切ってしまった感じ

夜の中にある真の光ってことだろうか

 

……

 

以上です!少ない?思ったより自分のメモは少なかった…。

 

気に入った有元利夫の言葉

「僕に関するかぎり、才能というのは何か自分の外にあって、それがどうかしたはずみにぽんとこっちに入ってくる気がしてならない…僕はなんとなくぶらぶらしながらその配達を待っている」

 

(立ちながら見ながらメモしていたので

誤字脱字あるかもしれません、、、)

 

配達を待つ、というフレーズが気に入ったのでメモしてきました。

自分が毎日に懸命になっていれば、

きちんと配達はやってくるのかもしれない、

そう思いました。

 

**

 

それと、紅葉がきれいでした!

今見頃ですね。


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 写真技術が悪いのは目をつぶってください!

ぜひきれいな紅葉写真を撮ってきてください!

 

 

休みの日、どこに行くか迷ったら

ぜひ大山崎山荘美術館へ!

 

大山崎山荘美術館

http://www.asahibeer-oyamazaki.com/

有元利夫展↓

http://www.asahibeer-oyamazaki.com/tokubetu/33768/

 

読んでいただきありがとうございました!

 

考え中…

はなしたくてはなしていたのに、

はなせばはなすほど、

何か違う気がして、

相手との心の距離がはなれていく気がする

 

議論でも、

普段の会話でも、

雑談も、

 

親でも、

友達でも、

ちょっと知り合った人でも

仲良くなりたての人も。

 

はなしたくてはなしていても、

だんだんたのしくなくなってきて

伝えることを放棄したくなって

またいつものように

やっぱりひとりでいたい、なんて思ってる

 

はなせばはなすほどズレがあるのは、

きっと何も考えていないから。

ただ考える以上にていねいに考えていないから。

 

はなしたいまま、はなしている自分は

あんまりなんにも考えていない。

 

はなすときに必要なのは

案外考える時間なのかも。

 

静かにじっとする。

 

そうして、

はなしたい!と思ったことを、

一旦まるまま受け止める。

 

ていねいに角を取って、

まるくして、

ぴかぴかにみがいて、

おくりもののようにわたしてみようとする。

 

そんなふうに、

自分の伝えたいことを伝えられたらいいな。

 

そして、

 

今、少し反省している。

おもいつく言葉をすべてはなしていた時、

ひらひら落ちてくる紙くず、

落ちている紙を集めて、

相手に渡していたようなものなのかも、と。

まるでごみ箱のようだったんじゃないかって。

 

 

だから、

あれ?と思ったら

少しだんまり、静かにして、

じっとする

 

 

何を伝えたいかが見えてくるまで、

そして、

それをていねいに渡せるようになるまで

じっと待つ。

 

 

静かな時間は、

人との会話の中でも、

自分にとっての一日の中でも、

必ず必要。

 

 

自分に必要なこの時間、

さぁ、考え中…考え中…

 

 

 

さがしもの

今日は一日中さがしもの。

 

いろんなとこに行って

「ないなぁ」とつぶやいて

 

あらゆる引き出しをあけては

「やっぱりない」とつぶやく

 

かばんを開けても

「ない」

掃除しても

「ない」

 

何を探しているかは分からない。

でも、今日は「何か」がなくて、

一日中さがしていた。

 

何か見落としたのかな?

今日は新しい気づきに会っていないからかな?

 

近くにあっても見えていない、

見つけられていないってことだろうか。

 

 

何をさがしていたのかな、

何をみつけたかったのかな、

明日は見つけられるかな?

 

そうか、

しばらくからっぽの自分になってみようっと。

 

からっぽになったあと、

私の中に「何か」があることに気づくかもしれない

 

何をさがしているかわからないけれど、

何かをさがしつづける

 

 

今日も明日もこれからも。

 

こどもになる。

最近、気づく度に、子どもになっているような気がします。それは劣化や退化ではなくて、むしろ成長に近いのかなと思います。

 

感情をそのまま出せることも、やってみたい!と思うことをやってみたり、思い付くことが増えたりすること、いろんなところへ行きたい遊びに行きたいと思うこと、これらはみんな「こども」であることの最高の喜びだと思います。それらが少しずつ、自分にもできるようになってきたのです。

 

小さい頃からずっと、真顔で、相手の言うまま聞くままをじっと受け入れてきました。それは「相手を受け入れる」なんて崇高なことではなくて、ただの「あきらめ」に近かったような気がします。命令されたら「はい」と受け入れ、話すなと言われたら「はい」とだまる。ほとんどのことにあきらめたような気持ちでいたからか、小学生の間はずいぶん退屈で暇な時間を過ごしました。その証拠に小学生のアルバム写真はずいぶん大人びています。今の顔と比べるとびっくり、今の方が小学生っぽい顔なのかも…

 

ぐっと押さえてきた感情も出せるようになりました。笑いたくても笑わなかった頃から、笑うから楽しいという言葉を信じていつでも笑おうと笑顔でいたり、苦しいときは「無」でいるのではなく、とことん苦しさに向き合ってみたり。友達と話しても楽しくないなんて考えていた頃から、自らこの会話を楽しもうとしていたり。こどものように何でも楽しもう、どんなことも遊びにしてしまおう、と変わってきた私。

 

おとなに近づきつつ、こどもになっていく私は、こどものように無邪気にすごしてこなかったこども時代を今、過ごしています。そんなちょっぴり楽しいような難しいような時間をこれからも過ごしていきます。もう少ししたらこども時代を満喫し終えて「おとな」になれるかな?おとなになって、だれかを救えるようなそんな存在になれるかな?

 

こどもの心で就活スーツを着れる?

時には「おとな」を演じてみる?

 

まだまだ難しい期間にいる。

 

今の私は、

こどもっぽい、と言われても傷つかないし

おとなっぽい、と言われても何も思わない。

 

こどもでいたい時はこどもでいる。

 

そんな風に感じています。

 

 

いつでも、どんなときも、

みんながみんなこどもになれる時間があればいいな、という雑談でした。

 

読んでいただき、ありがとうございました!

カラコロ下駄

カラコロした音が好きで、

ハダシで履けることも好きで、

木の感触が何より心地いい。

 

いつも家の外の植物に水やりをしに

下駄を履いている。

 

少し、ほんの少し、

必要以上に歩いてみて、

カラコロ音を聞いてみる。

 

その音がとても心地よくて、

気に入っていたのだけれど、

季節が季節でとても寒くなったため

カラコロ下駄はベランダへ移動。

 

ベランダでは思うような音がでないから、

外でカラコロ下駄を使いたい。

 

もっというと、本当は、

外でたくさんカラコロカラコロ歩きたい。

散歩に使ったり、おでかけに使ったり

 

でも、今は寒くてほんの少ししか歩けない

そして、だれも履いてないことも気になる

まだ家のまわりでしか使えない

 

下駄はサンダルに近い、

サンダルと同じ機能で、

何より音が楽しい。

 

もっと履いて、音を楽しみたい。

あたたかくなったら、

カラコロ下駄履いて外にでてみよう。

 

まだまだすこーし恥ずかしくて

少ししか歩けないだろうけど。

 

下駄を履いて、音を聞きながら

いろんなところに散歩に行きたいな。

 

ワンピースに下駄とか流行らないかなぁ

案外いけるはず、なんて思いながら…

 

 

履き物つながりの過去記事↓

 

atamatokokoro.hatenablog.com

 

 

 今日も1日お疲れ様です、

読んで頂きありがとうございました!

いつも笑顔のその先に、

 

とにかくいつも笑っていよう!と心がけてから、自然と笑顔でいられる時間が増えました。鬱々と不満や文句を言いたがっていた頃から、発言も笑顔の数も格段に違ってきました。そして、不満も文句もほとんど言わないようになって、自然と一緒に不満を言っていた友達から離れ、笑顔で話し合える友達が増えました。笑って人と話すことは本当に楽しい、さらに、笑い合えた時はもっと楽しい、今ではもっとたくさんの人と笑い合って話せたらいいなと思えるほど、人と話すことが好きになりました。

 

 

でも、ふとしたときに気づいたことがあります。

いつも笑顔でいることはゴールではないということ、

むしろいつも笑顔でいることが出発点なんじゃないか、ということです。

 

いつも笑顔でいること、その先には何があるのかな、

その先にこそ何かがあるのではないかな、

いつも笑顔でいること、その先にもっともっと広い世界があって、いつも笑顔でいること以上に楽しい世界があると思います。

 

 

いつも笑顔でいることは、かつての自分にとって大変なことで、無理することもありました。その頃はいつも笑顔でいることが自分にとっての最大の目標で、最終の目標だと感じていました。でも、自然と笑顔でいられるようになった今、もっとその先があると気づきました。

 

笑いたい、笑顔でいたい、その思いから表れてきた笑顔は「ひとつ」しかない、と思っています。その笑顔で人と話すと、いつもおんなじ笑顔、その笑顔で文を書いても、いつもおんなじ文の表情です。「いつも笑ってるね」はもしかするとおんなじ笑顔ってことなのかも、そう気づいてから、いつも笑顔でいることのその先へ行かなきゃと感じました。今まで書いてきた文を振り返ってみると、単一笑顔で書いてきた文だな、という感想を持ちました。

 

 

今、笑顔のその先があると感じるのは、ひとつだけの笑顔で過ごしてきて、自分の中がそのひとつだけの笑顔で飽和してしまったからです。いつも笑わない自分から、いつも笑う自分へ変化して、そしてさらに、自分の気持ちも表せるいろんな笑顔をだせるようになる自分になりたい、そうなろう、と今思っています。それがこれからの最大の目標であり、自分の目指す姿なのかな、と今感じています。そこへ到達したとき、さらにまだまだ先は続く、と感じるか、ここがゴールだと感じるかはそこへ行ってみないとわかりません。

 

すでにある言葉で言ってしまえば「表情豊か」になりたいということ、

私なりに言ってみると色んな笑顔ができるようになりたいということ。

 

その色んな笑顔という文字のように、たくさんの色をもった笑顔ができるようになれば、自分の中にたくさんの色が増えて、飽和する、飽きるなんてことなく「笑顔でいること」を心から楽しめるようになるだろうな。

 

笑顔ひとつでも、心から楽しいと感じたときにあらわれる笑顔、本当にただおかしくて笑う笑顔、感謝を伝える時の笑顔、相手を受け入れよう、許そうと思う笑顔、本当に色々、色んな笑顔。

 

それが自然とできるようになった頃、文の中にも色んな表情があらわれていくのだと思います。「文の表情が変わったね」「色んな文の表情があるね」と言ってもらえたら、いつも笑顔でいると意識して、ひとつの笑顔しか出せなかったあの頃から、自分が立てた目標に近づけたんだと気づけます。

 

 

いつも笑顔のその先に、自分の気持ちを表せる笑顔に、

そんな、自分の目指す姿になるために、たくさんの物、本、人、空間に触れて、たくさん栄養を補給していきます。出会ったすべてのものから学びを得て、表情豊かな私に、色んな笑顔ができる私に、自然と出会えるようになるまで、今の笑顔とともに毎日を過ごしていきます。

 

そんな、ちょっぴり感傷的な気分に浸って、それを書いてみたいと思う「芸術の秋」でした。

 

… 今週のお題「芸術の秋」…