月の葉っぱ

夜明けはもうすぐそこに。

恋。

 

今日も、誰かが誰かを想っている。

 

お母さんが小さな男の子をぎゅっと抱き締める

お父さんが小さな女の子の手をつなぐ。

 

男の子と手をつなぐお母さん

女の子と手をつなぐお母さん

 

男の子と手をつなぐお父さん

女の子と手をつなぐお父さん

 

お父さんと手をつなぐお母さん

 

女の子が男の子へ

男の子が女の子へ

 

たくさんの恋であふれている

 

私の知らない恋が

私の知らない場所で花開いて

 

私の知らない恋が

私の知らない場所で閉じていく

 

私の知らない場所で、

私の知らない、色んな恋の形があふれている

 

 

日々移り変わる自然に恋したり、

はじめて会った人に恋したり、

あるものごとに恋したり。

 

ほんとにたくさんの恋であふれている

 

 

電車の中、街中にいる

不機嫌そうなおじさんも、

穏和なおじさんも。

 

しかめつらなおばさんも、

にこにこしているおばさんも。

 

怒りにまかせてどなり散らすおじいさんも、

孫と微笑み合うおじいさんも。

 

みんな、

誰かを想ってきて、何かを想ってきて、

いろんな恋を経てきたんだと思うと、

どの人にも、どんな人にも、

すてきな思い出があるんだろうなぁ、と思う。

 

あらゆる人の手帳に「デート」という言葉が

記入されていくこの季節

 

私の知らないたくさんの恋が、

あたたかくて幸せなたくさんの恋が、

どこかで実って、花咲くのかな。

 

恋が実って花が咲く。

まるで桜色の世界が広がっていくみたい。

 

いろんなところに桜色の雰囲気が増えて、

いろんな人の表情に桜の花が咲く。

まるで白い冬の中の春みたいだ。

 

この季節の恋を、

いろんなとこで眺めてみる。

 

そしたら、

小さな女の子と小さな男の子の、小さな恋

 

女の人同士も

男の人同士も

人との恋はひとつではなくて

本当にたくさんあるんだと知る

 

それが珍しいからといって

仲間はずれにするのではなく

 

たくさんの恋の形があるほうが

もっと世界は恋であふれて

もっともっとあたたかい世界になるんだろうな。

 

そう思うと、

誰もが愛しい存在になってくる

 

何に恋するかとか

誰に恋するかとか

そんなこと、関係なくなって

 

みんながみんな恋する存在なんだと知る

 

凶暴的なあの人も

しかめつらをしているあの人も

 

きっと何かに恋をしていて

誰かに思いを寄せている

 

誰もが愛すべき存在で

誰もが愛されるべき存在

 

 

愛されて、愛して、

いろんな恋が生まれていく。

 

 そして、

 

いろんな恋が、

たくさんの作品を生み出して

いろんな恋が、

たくさんの人の大切な思い出になっていく。

 

今日も、誰かが誰かを想っている。

 

みんな、愛されるべき存在で、

みんな、恋する存在なんだよって

 

12月になったこの冬が、

光の温かさと共に教えてくれた。

 

街の中にたくさんの光が灯っていく中で、 

いろんなものに恋できたらいいな、と感じる。

 

あらゆるもの、

あらゆる人に向けた恋が実り

花、開きますように。

 

 

 恋についてちょっと考えてみる「プレゼント」

 一足先のメリークリスマス♪

 

 

意味を知ってから、

いつか使ってみたい!とその時を待っていたけれど、なかなか来ないようなので…

 

これを読んでくれたみなさん!

月が、綺麗ですね。

 

 

 外にある月も、ね。

みんな芸術

 夜になっていく暗い世界に、

モミの木を通して見える街灯の光

 

車から電車から、お店から、

あらゆる方向から出される光

 

公園の中にポツンとひとつある光が

まるい光のボールになって木にふれている

 

空の景色も空の声も空の音も

海の景色も海の声も海の音も

山の景色も山の声も山の音も

 

どれもが日々、その瞬間生み出される作品

 

 

この世界には芸術があふれている。

 

 

目の前につかめるものすべて作品で、

目に見えなくてつかめないものもすべて作品。

 

頭の中にある思いも

頭の中に浮かんだ思い出もみんな作品。

 

目に映る景色も

今はない小さい頃の思い出の景色もみんな作品。

 

今 ここにあることばも

これからうまれる新しい言葉もどれもみんな、作品

 

 

そう思うと、どれもこれもみんな芸術なんだと気づく。

 

かつて、

ずっと美術館の中に入れたらいいなと思うことがあった。

でも、今、

私の周りには多くの作品があることに気づいている

そして、私はそれに包まれている。

 

だから

 

私はとても大きな

とても壮大な美術館にいたんだと知った

 

入口と出口があって、

監視員がいる普通の美術館ではない

 

 

もっともっと広がりがあって

広くて大きくて偉大で

風が吹いて、雨が降って、太陽の光がそそがれる

 

そして、

誰にも監視されないで芸術をみることができる

そんな壮大な美術館の中にいる。

 

 

幸せも笑いも悲しみも、

苦しさもせつなさも虚無感も、

名言もあいさつも悪口でさえも、

 

どれもこれもが作品、

そして、

どれもこれもが芸術。

 

今 目に映るもの

頭の中にある記憶

心の中の思い

 

どれもが、みんながつくりあげてきたもの

 

手紙も本もおふとんも

服もノートも髪型も

誰かが心をこめてつくりあげてきたもの。

 

すべてが作品なんだ

 

工場もラインも製品も

サービスも声かけもレジ打ちも、どれもが作品

手紙もショートメッセージもメールも。

 

自然が見せてくれる芸術と

画家が見せてくれる芸術と

全ての人が見せてくれる芸術

 

どれもが芸術なんだ

 

 

おはよう、いってきますという朝の作品に

おやすみ、良い夢みてね、という夜の作品。

 

 

日々生まれる会話という作品に、

教える人教わる人がある、授業という作品

 

日々を刻み、時を教えてくれるカレンダーも

私を記録してくれる手帳も

 

みんながみんな芸術で、

みんながみんな何かを生み出している

 

描かれたものだけが芸術じゃない

 

この世界全てが芸術なんだ

 

そして、もちろん、

私たち自身も作品なんだってことを忘れずに。

 

 

もやもやとしていて目の前の芸術を見逃さないように

いつもわくわくしながら外の世界に接しよう

自分の内側に広がる大宇宙も、ね。

 

 

  ・・・・・

 着想はこちらから頂きました!

 上の小枝さん、ありがとうございました!

 

uenokoeda.hatenablog.com

 この世界観が芸術みたい、とコメントした際、 

「芸術みたい」なのは、世界そのものであって、私自身はそれを切り出しただけで…

とお返事をいただき、「そうか、世界は芸術なんだ!」と目が覚めました。世界が芸術、そう気づかせてくれてありがとうございました。

 

 ≪付録≫

以前、上の小枝さんに紹介して頂いた記事です。

この時はじめて紹介されて嬉しかったので載せておきます。

(もう2か月半くらい前ですが…)

uenokoeda.hatenablog.com

 

 さあ、私も「今日」という作品を仕上げていこう!

それでは!良い一日を!

 

 

昨日も今日も作品、明日もね。

 

セロハン

「負」の膜をまとった先生がいる。

 

話していて楽しそうでもないからもちろん楽しさも伝わらない。

雑談も人をけなす話ばかり。

 

一人、教壇の上で浮いているような感じ

(もちろんそこに立つのは一人だけど)

 

「私、ウザイです」という膜がベタッとついていて、

「私、ウザイですよ」という声が聞こえてくるような気がする

 

きっと、そういうセロハンって内側からにじみでたもので、

考えていることや思っていることは外側ににじみでて、

膜のようになるのかもしれない

 

 

自分が嫌だ、と感じたら、その思いが自分を包んでいく

はじめはオブラートのように薄い膜だけど、

それがいつしか固くなって自分を包んでしまい、本当の皮膚のようになってしまう

 

そうなるまえに、

オブラートのように薄いセロハンのときに、

はずしていかないといけない。

 

きっと、あの先生はバウムクーヘンのように何層も何層も

たくさん重なっているのだろう

 

深く切り込みを入れて

分厚い膜をとっていかないと、あの先生の中にある少女はきっとでてこない

 

その膜を自分ではがすのか、それとも誰かがはがしてくれるのか、

それとも気づかずに毎日毎日新たな膜を覆ってしまうのか

 

私は、もうこの先生にはあと数回しか会わないから、

この先を知ることはない

 

いつしか後で会った時、見違えるような解放された明るさを放っているのか

それともこの時以上に分厚い膜を覆って、

出会っても「あの先生だ」と気づかないくらいになっているだろうか

 

もはや身動きがとれないくらい固くなって、動けなくなっているかもしれない

 

もしかすると、いつまでも少女のようなおばあさんが元気なのは

自分についている膜がほんの少しだからかもしれない

 

自分についたたくさんのセロハン

まるままの自分でいるために、

気づいたときにはがしておこう。

 

 

 

その先生の言葉には、

言葉の端々に嫌味や皮肉が入っていて

発する言葉すべてに、刀のようなとげがある。

 

それは、

自分を覆ったたくさんのセロハンを突き破って声を発するためなのかもしれない

 

だとしたら、なおさら膜を取り除かなればいけない

自分の膜を突き破って声を発する、

そうすれば、その声はとげをもって誰かの心を刺してしまう。

自分の膜が多いことでいつしか誰かを傷つけてしまうのかもしれない

 

自分のために、誰かのためにも

自分の膜は取り除いていかなければいけない

 

膜が自分を守ることもある

でもいつしか膜が自分を閉じることもある

 

 

 

役割というセロハンもあるのかもしれない

 

誰しもが受け取るセロハン

でも、それに固執しないように。

そのセロハンから離れる時間も必要

 

役割というセロハンにつかれたら、

しばらくハンガーにかけて放置しておこう

それを眺めながら、

もう一度がんばろうと思えたら、

またセロハンを羽織ってがんばれたらいいな。

 

 

雨が降って、

紅葉の葉にまとわる水滴が太陽の光りに照らされて光る様子

それがあの人の目に映ることはあるのだろうか。

 

 

もしも、セロハンの引っ張り口が見えたら、

そっとひっぱって1枚とってみよう。

 

嫌な人はきっと、セロハンがついているだけ

そう思ったら案外なんてことないような気がする。

 

いろんな人のセロハンをはがして、多くの人がそのままであれたらいいのにな。

そう思う前に、まずは自分についたセロハンをはがしていかなくては。

 

単純になろうっと。

生きる目的をもつ幸せ、

人を救うことができる幸せ、

 

そんなにも大きな幸せを考え続けて苦しくなるのなら、

甘いホットケーキだけの幸せに包まれてみよう。

ふかふかとホットケーキをほおばって。

 

atamatokokoro.hatenablog.com

 

目指す姿を決めるとか、

どんな趣味を持つべきかとか、

それを仕事にするにはとか、

 

いろんなやり方や方法を考え続けて苦しくなるのなら、

ただボーッとして、頭の中に浮かぶたくさんの風船を見つめていよう。

それが私の好きなこと。

 

 

好きなことは本を読むこと?

人と話すこと?

それとも食べること寝ること?

 

なんのなんの、

私が一番好きなのはボーッとすること。

頭の中にたくさん浮かんだ風船から、

気に入った風船をつかんで、それと一緒に散歩すること。

 

 

そう、

今日、良いことあったんだよ!

投稿数と読者数がそろったんだよ!

見ていてとても心地いいでしょ?

ほら!今日はよかった日、とてもよかった日!

単純になろうよって少し前の自分が言ってる。

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確かに、今日はよかった日、

良いことあったんだ、

 

複雑になって、

そばにあるしあわせに気づけないなら

大きなしあわせも手に入るわけない。

 

考えすぎて苦しくなったんだ、

しばらく単純になろうっと!

 

一番シンプルな幸せは、

すぐそこにある幸せに気づけること。

 

 

ただそれだけ、

ただそれだけなのに、

どうしてこうも複雑になってしまうのだろう。

 

おくりもの

2017年の自分から、

2018年の自分へおくりもの

 

なにを贈ろうか考えてみる

 

いっしょに笑ってくれた友達の笑顔?

一年の中で変われたこと?成長できたこと?

2017年の良かったことシリーズ?

 

なにがいいかな、

とりあえず、

今日までの2017年をふりかえってみよう。

 

1回目はなにも見ずに、

2回目は手帳を見ながら。

 

その時なにをなやんでいたのかな、

あの時なにをかんがえていたのかな、

 

そうやって自分の考えていたことを知る。

 

そうだ、

自分がもらっていちばんうれしいもの、

それは手紙だ!

 

2017年、こんなことがんばったよ

2018年はこのことをがんばってほしいな

それと、

どんな自分になってほしいか、という目標

そして最後に、

毎日を後悔しないように、

毎日ひとつ何かを学んで、

あとは笑って過ごしてねってこと。

 

書いていたときの気持ちも同封して、

2018年の自分を待つ。

 

よし、これでいこう。

 

おくりものは手紙ひとつ、

それだけでいい、それだけでいいや。

 

あとは、

今年いっしょに過ごした手帳も、

大切なおくりもののひとつ。

毎日成長することにつかれたら、

手帳をふりかえってみる。

この頃から変われたな、とか

この言葉、今の自分にぴったりだ、とか。

 

2018年の自分からは、

真っ白なキャンバスをもらう。

 

毎日すこしずつ点を描いて、

その年の作品をつくる。

まだなんにも描かれていないキャンバス

2018年はどんな絵が描けるだろう?

心のうきうきがとまらない。

 

atamatokokoro.hatenablog.com

 

 今年はどんな絵が描けたかな?

12月、どんな絵を付け加えよう?

 

おくりもの、

自分に、家族に、友達に。

 

なにをおくろうか、

どんなおくりものがいいか、

かんがえてみることはきっと楽しい。

 

今日も、今日がおわります。

明日に早く会うために、

ふとんをかぶって、

おやすみなさい。

 

 

もう、はじまりはすぐそばに。

 

 

 

 

~大山崎山荘美術館、有元利夫展~ただのおもいつきメモ!

 

大山崎山荘美術館へ行ってきました!

自分のメモ用としてまとめておきます。

(見ている有識者の方がおられたら

申し訳ありません…無視してください…)

 

 彼の作品は「観るものを時間や存在を忘れさせる空間へ誘う」と書かれてありました。

 

見てきた流れで、メモのまとめです。

 

 ……

 

らせんをえがく立体的なたてものに、

花がひらひら落ちてきた《花降る日》

 

《真夜中の占い》と《花降る森》、

両方にあった青い四角のプレート

 

とうめいの青にこめた神聖な力?

 

厳格な雰囲気から

ひょこっと、ひとりひょうきんに出てきた

monodrama、《1人の芝居》

 

ひとりが上空に浮かんでいた《ロンド》

不安になるような、少しこわくなるような

そんな世界観

 

《 花咲く頃》、は

筆触がめだってぼこぼこしている

 

《真夜中の室内》、

カーテンから外は神聖な夜が広がっている

 

《送る夜》に《七夕の夜》

両方に格子盤がある

これは、なんだろう

夜を数えているのだろうか

 

《7つの音》では、

1つの音がピックアップされていた

お気に入りの音を味わっているのかな?

 

室内楽》にもまた

テーブルの上にかけられた白いクロスに

格子盤

 

赤い音をはじいて、はずむ音楽

体の後ろは空、音楽で広がる世界ってこと?

はだかなのは、音楽で解放される心を表しているのだろうか

 

《夜の森》には一本の白い光の線

上から下へ、画面を切ってしまった感じ

夜の中にある真の光ってことだろうか

 

……

 

以上です!少ない?思ったより自分のメモは少なかった…。

 

気に入った有元利夫の言葉

「僕に関するかぎり、才能というのは何か自分の外にあって、それがどうかしたはずみにぽんとこっちに入ってくる気がしてならない…僕はなんとなくぶらぶらしながらその配達を待っている」

 

(立ちながら見ながらメモしていたので

誤字脱字あるかもしれません、、、)

 

配達を待つ、というフレーズが気に入ったのでメモしてきました。

自分が毎日に懸命になっていれば、

きちんと配達はやってくるのかもしれない、

そう思いました。

 

**

 

それと、紅葉がきれいでした!

今見頃ですね。


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 写真技術が悪いのは目をつぶってください!

ぜひきれいな紅葉写真を撮ってきてください!

 

 

休みの日、どこに行くか迷ったら

ぜひ大山崎山荘美術館へ!

 

大山崎山荘美術館

http://www.asahibeer-oyamazaki.com/

有元利夫展↓

http://www.asahibeer-oyamazaki.com/tokubetu/33768/

 

読んでいただきありがとうございました!

 

考え中…

はなしたくてはなしていたのに、

はなせばはなすほど、

何か違う気がして、

相手との心の距離がはなれていく気がする

 

議論でも、

普段の会話でも、

雑談も、

 

親でも、

友達でも、

ちょっと知り合った人でも

仲良くなりたての人も。

 

はなしたくてはなしていても、

だんだんたのしくなくなってきて

伝えることを放棄したくなって

またいつものように

やっぱりひとりでいたい、なんて思ってる

 

はなせばはなすほどズレがあるのは、

きっと何も考えていないから。

ただ考える以上にていねいに考えていないから。

 

はなしたいまま、はなしている自分は

あんまりなんにも考えていない。

 

はなすときに必要なのは

案外考える時間なのかも。

 

静かにじっとする。

 

そうして、

はなしたい!と思ったことを、

一旦まるまま受け止める。

 

ていねいに角を取って、

まるくして、

ぴかぴかにみがいて、

おくりもののようにわたしてみようとする。

 

そんなふうに、

自分の伝えたいことを伝えられたらいいな。

 

そして、

 

今、少し反省している。

おもいつく言葉をすべてはなしていた時、

ひらひら落ちてくる紙くず、

落ちている紙を集めて、

相手に渡していたようなものなのかも、と。

まるでごみ箱のようだったんじゃないかって。

 

 

だから、

あれ?と思ったら

少しだんまり、静かにして、

じっとする

 

 

何を伝えたいかが見えてくるまで、

そして、

それをていねいに渡せるようになるまで

じっと待つ。

 

 

静かな時間は、

人との会話の中でも、

自分にとっての一日の中でも、

必ず必要。

 

 

自分に必要なこの時間、

さぁ、考え中…考え中…