月の葉っぱ

夜明けはもうすぐそこに。

今やりたいことをやる、その先は…?

好きなことで生きていく。

最近よく聞くようになった言葉。

 

どちらかというと、今、やってみたいこと

(衝動的なもの?)のような気がする。

早い時期に自分の本当の好きなこと、やりたいことに気づける人は少ないと思う。

 

それでも、好きなことで生きていくと公言している人は、今その瞬間を楽しみたくて、それをしたいために毎日を生きていく。それは、やりたいことをやりたいときにしているから、その瞬間は楽しいと思う。

でもそれは、長期的に見るとどうなんだろう。

 

その時楽しい!と感じることをするだけで、これからもそれでいけるのだろうか。

その先を見つめたときに、衝動よりも今、もっとすべきことがあったら?

今、すべきことをするからこそ、衝動の奴隷になるよりも、もっと先が開けると分かっていたら?

 

でももしすべてが今、なくなってしまったら…今の自分の環境が嫌だといいながらそこでとまってしまったら、もっと楽しんでいればよかったと思うだろう。

 

今その瞬間の楽しさ(明るさ)と、

長期的に得られる楽しさ(明るさ)、

どう両立するのかな

どう両立していくのかな

 

今の知識のまま生きていくのは危険な気がして、今、苦しくても学んで学んで成長したい。その先に得られるであろうことが必ずある。だから今は、ただ思い付く衝動の奴隷にはなりたくない。

 

でも、ひとつだけを見据えてしまうと道が狭まることもある。

 

だからやりたいことをやりたいときにやる方がいいのかな。

 

どうなんだろう、どう両立していくのだろう。

 

 

 

やらないことリスト

苦手なものについて考える

やりたくないことについて考える

いらないものリストや、

やらないことリスト

 

それらについて考えてみてまとめてみる。

それを公開する人もいる。

まとめたものをじっくり見て、そこから自分の道筋を見る人もいる。

 

そうすることによって自分に不用なものが何かわかる。

 

でも、自分はできなかった。

それらについて考えてみようとしてみた。

だけど嫌な記憶や辛い想像をしてしまって、

それらが頭の中を泳ぐのさえしんどかった。

まとめることはもちろんできないし、

何が嫌か考えるのも、思うのも辛い。

 

 

嫌いなことリスト、

やりたくないことリスト、

やらないことリスト、

まとめることができた人はきっと辛い記憶にもきちんと向き合ったんだろう

考えるときもしんどかったのかな、

まとめるときもしんどかったのかな、

公開するときもしんどかったのかな、

 

 

でも、そんなにも長い時間

自分のやりたくないことについて考えることって自分を暗くさせないだろうか

自分のいらないものについて長く考えることって自分にプラスなんだろうか

 その暗い時間は自分に明るさをいつか返してくれるだろうか

 

そんなに考えることではない?

そんなに深刻ではない?

 

ではなぜ、わざわざ考えて人に見せたりするんだろうか。

自分だけのリストではないのだろうか。

 

 

いつか、自分にも必要とするときがくるかもしれない。でも、まだ、分からないしできない。

 

まだ必要ないのかな、

そろそろ考えてみる時なのかな、

なんだか、よくわからない。

 

自分を知ることって、

自分の嫌いなことについて知ることなんだっけ

それが一歩になると思うのだけど、

公開されているやらないことリストが

どこか似ているのは気のせいだろうか。

似ていたら、ほとんどの人が同じで、

結局それぞれの自分を知ることはできていないんじゃないかな

 

自分の心踊ることこそ、

本当にひとそれぞれ

それについて考えてみる方がきっと心踊る

それについて考えてみることで他と違う自分を知れると思う

 

単純すぎるかな

 

ひとりでいること

私はひとりでいることがすきなのに、

ひとりでできないこともけっこうある。

 

ひとりでぶらぶら散歩ができない

ひとりでさらっとおでかけができない

特に、ひとりで買い物ができない

何か探している風も、

何か見て楽しんでいる風もできない。

私は買い物が好きじゃないんだ、といつも思うけれど、相手がいる時は買い物がとても楽しい。

 

相手がいないと元気がでない

いつも誰かと一緒にお話していたい

ひとりで待っていることも苦手で、

常に動いていたいし、何かしたい

常に何か発していたい

 

 

 でも、そういいながら

電車に乗るときはひとりがすき

自転車にのるときもひとりがすき

どこかへ向かうときもひとりがすき

 考えるときも想像するときもひとりがすき

 本を読むときのひとり時間もすき

部屋の中にひとりでいるのもすき

 

ひとりでいることはすき

なのに

ひとりでいることが苦手

 

たくさんの人と会ったときは

しばらくひとりになりたい

でも、ひとりでいると、

またいろんな人に会いたいと願う

 

誰かに会いに行くとき

会いに向かっている間はひとりでいたい

会いに行った先ではいろんな人に会いたい

帰るときはひとりでいたい

 

今の自分はそのような、

ちょっとわがままなひとり好き

 

ひとり、一人、1人、独り、ヒトリ…

 

ひとりでいることって単純なようでいて

難しい。

 

ひとと会うことが好き

でも、ひとりが好き

 

複雑なことは嫌いなのに、

ここだけはどうしてもシンプルにできない

 

 

ゆめみごこち

ねているのか、ねていないかの

よくわからないまんなかにいる

 

ずっとぽかぽかしていて

あたまのなかにはなんの考えも浮かばない

でもどこか心地よくて

あせりも不安もくるしさもない

 

このふわふわとあたたかい感じが

もしも一日中続いたら、どんな感じだろう

ほんのりあたたかい瞬間をすごせるのかな

 

 

ゆめみごこち、ゆめみがち、

夢を想像している間、人はねてるのかねていないのか、そんな真ん中にいるのかもしれない

 

 

ねむけ

 

起きてすぐに干したから、

五時間くらいお日様の光を吸収していたかけぶとん

そのぽかぽかの、ほんのりあたたかい

ふっかふっかの布団をハグして

ごろごろする

 

ちいさいあくびをなんどかして

こんな時間これからはなかなかとれないなぁとおもいながらとろんとする

 

あと数日だけ、ごろごろしよう

 

多くの人に、とろんと休憩できる、

そんな時間がたくさんあらわれますように。

 

 

 

プライドの話、思ったこと。

自分を守るプライドが、いつしか人の心を傷つけてしまうものになってしまう。

 

相手のことは流暢に話すのに、自分のこととなると一線を引いたようになるひとがいる。

 

自分をかたくなに守りすぎるために、相手は中にとけこむことができずに、傷つく。バリアを張られているように感じる。

 

自分のプライドの高さは、客観的にあるべきだと思う。自分を正しく、客観的に評価できていたなら、例え悪く評価されてしまっても、自分にはこういうよいところもある、と考えられる。また、良すぎる評価をされた場合は、自分にはまだ改善すべき点があると舞い上がらずに向き合える。客観的にもつことで、自分を守ることができる。

 

 

 

自分を守るためのはずが相手を傷つけてしまう。また、時に高すぎるプライドのためにできない自分が許せなくなり、傷ついてしまう。そして、挑戦が怖くなり機会を得ることが減り、未来の自分が、高すぎるプライドによって道を狭められてしまう。

 

人をよせつけないほどのプライドは、誰のためにもならない。相手を傷つける凶器にもなり、自分をも苦しめる凶器にもなる。

 

でも、プライドがなければ自分を守ることができない。大切な自分だと思えなければ、適当に自分を出してしまうだろうし、どうどうとふるまうことができない。

 

客観的なプライドの位置は

むずかしいよなぁ、と思ったことと

自分のプライドは相手にどう見えているのかなぁと思ったこ

今の自分のプライドっていつ知るのかなぁとか

 

と、こわいくらい高いプライドを持った人を見ていろいろ思ったのでした。

 

 

 

 

ホームセンター内のペットショップ、そこで思ってたこと

かわいいなぁとポメラニアンをずっと見ていた。これからこの子はどんな家に行くのかな、大きくなったらどんな雰囲気になるのかな、なんて思っていた。でも、ふと、もしも自分がこの中にいたら、と考えてしまった。

 

もし自分がこの小さな部屋でずっと、いつまでも中にいたらどれだけ苦しいのだろう。小さな部屋で何時間も何日も、外へ出られる日が約束されない中で、何も持たない自分がただいるだけ、それに耐えることができるだろうか。消えたくなってもそれを自分でできない。これからを自分で決めることもできない。自分で選べない生き方を、受け入れていきるしかない。

 

どれだけ苦しいことなんだろう。

でも、それを苦しいと感じるのは、私が外の世界を知っていて他の楽しみを知っているからだろうか。どこへでも行ける自由を持っているからだろうか。それは私しか知らない、だから、ここにいる犬や猫たちは苦しいと知らないのだろうか。だからといって、彼らが苦しくないわけではないはずだ。もちろん見つめている人間が、自分達を苦しそうだと見ていることは知らないと思うけれど。

 

私だけの主観で彼らが苦しいと思うのは、

彼らにとって失礼なことなのかな。

 

そう思うと、どの犬もストレスを抱えて苦しそうに見えて、どうしようもなくなった。すべてがよくわからなくなって、ただかわいいな、という思いが複雑に入り乱れてしまった。

 

多くの問題が入り乱れて、今に至っているだろう。それはどこから手をつけたらいいのか分からない。だけど、彼らが、自分で自分の生きる道を選べない苦しさだけでも知っておくべきなんじゃないかと思った。

 

彼らはきっと、生き方を選ぶなんて考えを知らないけれど、生き方を選べるという考えを知っている私たちが、選べない存在がいると考えることも時に必要なんだと思う。

 

今まで考えてこなかった自分がどれだけ恵まれた存在だったのかと、ふと思った一日でした。

 

 

ストレス解消法は、

きっと、多くの人が自分なりのストレス解消法を持っていると思う。それは、必ず好きなことだろうし、それをすれば心の気分が上がるのだと思う。

 

ならば、

自分だけのストレス解消法を、ストレスを抱えていない時に行えば、もっと満たされた気持ちになるのではないかな。

さらに、

その解消法を、ずっと一日中していれば、さらに幸せな気持ちにならないかな?

 

好きなことがわからないという人も、きっと自分なりのストレス解消法は持っていると思う。自分だけの方法、自分だけが気分の上がる方法…それってもしかして自分の好きなことなんじゃない?と今日思った。

 

人と会うことで気分が上がるなら、

多くの人と出会うことが好きなこと。

 

本を読むことで気分が上がるなら、

本にかかわることが好きなこと。

 

音楽を聞くことで気分が上がるなら、

音楽にふれることが好きなこと。

 

ストレスの近くにストレス解消法

嫌いなものの近くに好きなもの

 

本当に好きなことって、案外もう見つかっているのかもしれない。だからあとは、それとどう向き合って、どう生かしていくかだけ、なのかもしれない。

 

自分がストレスを抱えるものを見て、

それを解消する方法を見る。

 

 

自分の好きなことがすこしずつ、

見えてきた。