月の葉っぱ

夜明けはもうすぐそこに。

ことばのギフト

雨水の日。

空から渡されるものが雪から雨になっていく。

氷も溶けて水になっていく。

 

どちらもさらさらとながれていく、

そんなイメージを持つ。

私はそんな今日の日がとてもお気に入り。

 

今日は私の誕生日でもあったから。

 

誕生日、

それはきっと、

前へ進むことでも

後ろに進むことでもなくて

 

「今」をもらうことなんだと思う

 

いままで進んできた「今」をもらって

これからの「今」へと私は進んでいく。

 

今をもらう

今までの結果としての今をもらう

 

今日を迎えて、

今まで進んできた時の流れが

とうめいの、

きらきらしたやさしい水にかわって

さらさらとながれていく。

 

さらさらとながれていく水の流れをみつめていると、

忘れてしまって、

凍ってしまっていたことばのギフトを思い出した。

 

その時を思い出すと、

冷えついた心があたたかくなっていく。

 

ほめてくれた、

みとめてくれた、

いつまでもおぼえておきたいことばのギフトたち。

 

わすれてしまったことばもある

おぼえちがっていることばもある

いやになったことばもある

 

 

 

でも、どれもことばのギフト

私にかけてもらったことばのギフト

 

私は、今までにもらったことばのギフトを抱えて

 夜明けはまだ?と問いながら

 前を向いていこう。

 

さあ、つよくあれ、あかるくあれ!

 

 

 

にがてなひと

わたしはただ聞いていて、

知らなかったから「それ、なに?」とたずねた。

 

そしたら、

まるで「なに言ってるの?」と

いわんばかりの表情で、

さっきまで明るく話していた顔が一瞬で青銅の像のように。

 

知らなかった、だから聞いただけなのに。

知りたいと思ったから、聞いただけなのに。

 

とつぜん、そのフィールドに入らないでと言われたかのように

線引きされたように感じた。

 

知らないことはたくさんある。

私の知ってることなんてほんのちっぽけ、

そう知っている。

 

あなたのフィールド内で話すことは

もちろんあなたは詳しく知っている。

 

でも、だからといって

相手も深く知っていると思うのは、ちがう。

 

私が「知らない」というたびに、

目を見開くひとがにがて。

 

にがてだ。

 

どうしても。

 

きっといつまでも受け入れてくれないから。

小さな太陽

ボールペンのクリップに小さな太陽が宿った。

真っ昼間、まぶしいくらいに明るくてあたたかい光が、古い机がとんとんと並べられた図書館に注がれている。

抱えたもやもやを書いて、自分の考えを整理しようと思い立ち、お気に入りの銀色のボールペンを取り出した。すると、そのボールペンに光が生きているように宿った。

 さて、まずは日付から書き始めようと、ペンをノートに触れさせたら、そこに光の環っかができた。光の線が二重になっている、と思った。でも、そう言ってしまうのはどこか失礼だと感じた。二重に見えたそのリングは、それぞれひとつずつのリングとしてとても美しく綺麗だったから。

 ノートからペンをゆっくり上へ離してみる。するとリングはどんどん大きくなって、さっき見ていたリングの中に私も溶け込んでしまったようだった。

 銀色のボールペンが受け取った太陽の光は、金色のリングになって私のノートと私を照らしてくれていた。金色のリングは壁にも、机にも、少しずつ大きくなって光をふりまいていた。

 キラキラと光り続けるボールペンで書き続ける。少しずつ元気になってきたのはこのボールペンのおかげだろうか。窓からの光は私のボールペンに話しかけている、ボールペンは金色の環っかを揺らしながら返事をする。

 そんな会話を、私は書きながら聞き続ける。シャラン、シャリン、と聞こえたような気がしながら。

 私がペンを動かせば、ボールペンはあらゆる模様を机の上に映し出す。それはリングだったり、ダイヤモンドのようなカットだったり、ときにはやわらかいレースが映っていることもあった。

 私は、ペンが映し出す絵をコントロールすることができない。もちろんその絵をつくる太陽の光りも。それでもペンは私の想像しない絵をたくさん、飽きることなく見せてくれる。

 窓が見守る光と影のレース、それを切り取ってどこかに保存しておきたい。このレース、ワンピースの襟につけたらきっとかわいいのになあ。

 

この短い時間の間に、太陽の光りと対話して、いろんな絵を表現してきたボールペン。今まで以上に愛しく思えてきた。

 

 ボールペンと昼間の太陽と過ごした時間、たったそれだけ、たったそれだけなのに、気づいたら私はあたたかい気持ちでいっぱいだった。このボールペンには小さな太陽が宿っていたんだと感じた。

 

 さて、今日の午後に向かおう。

抱えていたもやもやした気持ちと正反対だった太陽の光り、そこを去るときには元気になって、心の中には小さな太陽が宿ったようだった。

 

きっと、その小さな太陽は、ボールペンのクリップに宿った太陽だったんだと思う。

 

いっしょに

君を一生幸せにする!

 

そんな素敵な言葉がある。

 

でも、最近、

その言葉は本当に素敵なんだろうか、

そう感じている。

 

幸せって自分が感じるものだから、

自分でない相手が、他人が、

自分を幸せにできるのかな?

 

人は、本人でない相手を

幸せにさせることってできるのかな?

 

 

幸せにさせる 、

幸せにする、

幸せになる。

 

どれにもきっと明確な違いがある。

 

幸せにする、も

幸せにさせる、も

どこか少し強引に感じてしまう。

 

いろんなことを知る中で

人は自ら幸せになる力を持っていることに気づけた。

 

 

だから、どうしても

幸せにする、という言葉が

幸せにさせる、という言葉に聞こえてしまう。

 

幸せにさせる、となれば

幸せにされる、となってしまう。

 

もしかしたら、

幸せにさせるということは

傲慢なのかもしれない。

 

相手を幸せにする。

相手を幸せにさせる。

 

もちろん相手を思う気持ちからうまれた言葉だと知っている。

 

でも、人は自ら幸せになれるはずだから

相手から「幸せにする!」「幸せにさせる!」って

決めてもらわなくていいんだと思う。

 

自分が相手を幸せにできるって思ってしまうことは、

何か違う気がする。

 

自分が感じる幸せを、

相手が「幸せでしょ?」って決めてしまっていたら。

 

そして、

幸せにする!といった人が

相手を幸せにしなきゃとがんばりすぎて

疲れてしまっていたり

 

幸せにできなかった、と

責任を感じてしまうことも、

本来あってはいけないんじゃないかな。

 

むしろ、自ら幸せになって

その上で誰かほかの人も一緒に幸せになれたら

もっと幸せと思える。

 

幸せだと感じるのは自分だから、

一緒に幸せになろうっていってもらえる方がうれしい。

 

どちらかが無理をしていてはいけないはず。

 

それぞれが幸せで、

二人一緒になったらもっと幸せ、

今はそれが一番素敵なことなのかな、と思う。

 

幸せにさせる、

幸せにさせてもらう

 

その言葉よりも

いっしょに幸せになろう!

そんな言葉がいいな。

  

 

自ら幸せになって、

それでいて相手も幸せ。

それでこそ二人している意味があるんじゃないかな。

 

幸せは無条件に

たくさん得ても、捨ててしまってもいい

そんな自由なものだと思うから

誰かが、誰か一人が負担を負うことは

きっとおかしい。 

 

そして、

今までかかげてきた「人を~させたい」という目標は

少し、傲慢だったのかもしれないと反省している。

人を笑顔にさせたいっていう目標よりも

いっしょに笑顔になろうという目標の方がいいのかな?と。

 

自分なりに励ましたりしていたことも

もしかしたら相手にとっては不要なことだったのかもしれない。

いま少し、見直すときなのかもしれない。

 

 

 

さて、

少し反省したところで 、

まずは自分が幸せになって、

いっしょに幸せになろうって言ってくれる人を

探しにいこうっと!

 

すてきな風

すてきな風をあびよう

 

すてきな風が、私にしみこむように

 

すてきな風をあびていたい

 

毎日の中にあふれる奇跡に

感動して、うれしくなって、楽しんでみる

 

 

歌と音と音楽を

心ゆくまでながしこんで

 

伝える思いを

伝える声を

心ゆくまで聞いてみる

 

いつまでも、

すてきな風を

すてきな風と感じられるように

 

思いが込められた歌が

いつまでも私にしみこむように

かたくなにならないで、

かちこちにならないで、

赤ちゃんの肌みたいにやわらかな存在で

多くのものを吸収していきたい

 

どんなことも、たくさん吸収出来たら

これ以上ないくらい幸せな気分になれる。

 

もしも、私自身、

にごっていてかたくなだったら、

きっと風は私を通ってくれない

 

色んな人の優しさや

色んな人の思い、ことば

 

歌や音楽、絵、

そこから、色んなところから、

たくさんのすてきな風を受けとって

私の中にすてきな風を通したい。

 

私の頭の中を表す机、

そこにすてきな風が通るように

いつもきれいにしておこう

 

そこを風が心地よく通ってくれるように。

 

そこにすてきな風が通れば、

きっと私の頭の中にもすてきな風が通る。

 

 

 明日からまた、

たくさんのすてきな風に出会えたらいいな。

 

いつまでも、

すてきな風が通っていく私でありますように。

そして、

すてきな風を与えていけるような人にも、

 

なれたらいいな。