月の葉っぱ

夜明けはもうすぐそこに。

ストップを楽しむ

 

立ち止まることを楽しんでみる。

何もしてみないことを楽しんでみる。

 

何も考えないことを楽しんでみる。

 

そうすると、頭の中に

ずっと前の思い出や、なってみたい私、

行ってみたい場所や空間がうかんでくる。

ぷかぷかとふわふわと、頭の中に漂っている。

 

どんな人になりたいかな?

どんな人に会いたいかな?

 

遠くのことを思っていたら、

近くのことも思ってみる。

 

次にあの人に会えたら、

どんな話をしたいかな?

次にあの場所へ行けたら、

私は何をしたいかな?

 

 

ながれこむ情報が過多になって、

頭も心もぱんぱんにつまってしまった

 

一旦リセットするために、

何もしてみないことにする。

 

 

そうすると、わたしにとって

あ、なんかいいな、これいいな、

次はこれがしたい、

と思えることが浮かんでくる。

 

ぷかぷかと浮かぶ思いに、

いつのまにかどこからか楽しくなってくる。

 

あの場所に行ってみようかな?

あの人に会いに行こうかな?

あの人にメッセージを送ってみようかな?

 

 

 

ストップすることを楽しんでみる。

 

そうしたら、

情報に疲れた「私」の向こうに、

いろんなことをしてみたいと願う「私」が

かくれんぼしていたことを知る

 

みつけにいこう、その「私」を

 

さぁ、今日は何をしよう。

 

 

小さな幸せのおすそわけ

今日見つけた小さな幸せのおすそわけです。

 

電車の中で、どんぐりを落とした男の子

電車のゆれにも負けず、必死に見つけてきて

手にぎゅっと大切に握っていました。
真剣な目をして、大切な宝物のようにどんぐりを守っていました。

 

私にとって、今の大切な宝物ってなんだろう

と考えさせてくれました。

 

抱っこされた赤ちゃんを見て、

「あかちゃんだ!」と言って喜ぶ

小さな小さな女の子

女の子と赤ちゃんにしかわからない目の会話をして、おかあさんと降りていく赤ちゃんに
「また明日ね!」と言ってにこにこと手を振る

 

明日会えるかわからなくても、

偶然会えた人に「また明日」と言える素敵さ。

本当に明日会えるかは関係ないんだね。

また会いたい、ということを伝えるために

「また明日」っていうんだね。

 

 

家の中にいても、

外に着ていくお気に入りの服を着て

お家お外気分をあじわう。

家の中を移動するだけでも、

お気に入りの服が目に入ることで気分があがる。

 

そして、その服のまま

家のあらゆる床をほうきで掃いて

邪気を払った!という達成感をあじわう。

 

掃除を終えたら、

あたたかい紅茶とチョコレート

高くなくても、とってもおいしく感じる夕方

 

掃除して出てきた書き損じはがき、

郵便局へ切手に交換しにいく。

これでまた手紙が書ける、だれに書こうかな?

だれに送りたいかな?

 

 そして、

小さいことに怒らなくなった自分、

ありがとうございますと言えるようになった自分に気づき、心が明るくなる。

 

 

久しぶりに聞いた「いのちの記憶」からは、

ずっと心に置いておきたい言葉が聞こえてくる

 

「今の全ては過去の全て」

「今の全ては未来の希望」

「必ずまた会える 懐かしい場所へ」

 

この幻想的な空間に、日常にいながら入れることに、不思議な幸せを感じる。

 

 

雨で乾かなかった洗濯物を

乾燥機であたためる。

 

乾燥機からでてきた衣服たちは

かさだかくなって、ふんわりしている。

服のやわらかさとあたたかさ、

こんなところにもほっこりする幸せが隠れている。

 

ふかふかした洗濯物。

きっといつまでも好きなんだろうなぁ。

 

 

夜の風につつまれながら自転車をこぐ。

夜の空気をたべながら、自転車に乗る楽しさと軽やかさで遊ぶ。

 

夜の空気は、ひんやりおいしくて、

夏に食べたかきごおりを思い出す。

 

そして、今、今日を思い出している幸せ。

 

今日見つけた小さな幸せ。

書いていて、思い出していて、

心が優しくなった気持ちになれました。

 

小さな幸せといったけれど、

ぜんぜん、小さくなんかない、

大きさや小ささなんてないだって、

今日気づきました。

 

どんなことでも、

心をあたためてくれるなら、

それは大きな幸せなんだろうな

とてもとても貴重で、大切な幸せなんだろうな

 

そう、思いました。

 

ふかふかした洗濯物をたたみながら、

ふかふかした幸せを思い出す。

 

ふかふかとここにいれる幸せを感じながら、

明日も、一日を大切にすごそうと決める。

 

 みなさまにも、

小さくて大きな幸せがありますように。

 

今を忘れないために。

今日、電車の中で大泣きしている小さな男の子がいました。泣いて泣いて泣いて、本当に悲しい気持ちであふれていました。最初は、どうして泣いているのだろうと、遠くから見ていただけでした。

 

でも、気づいたら自分も悲しい気分になりそうなことに気づきました。小さな子の泣き声を聞いていると、心がぎゅーっとにぎりつぶされるように苦しくなりました。小さい頃を思いだして、伝えたいのに伝えられない、伝えたいのに伝わらないんだと思うと、つられて自分も悲しい気分になっていました。

 

でも、私はまだ声をかけられるほど強くない。そして今なら、泣いていた自分から離れて見ることで、外からは本当に何を伝えたいのかわからない。私も、男の子が何を伝えたがっているのかわからない。男の子もどう伝えたら伝わるのかわからない。

 

私はまだ、自分のことさえもうまく伝えられない。だから、男の子が言いたいことも分からないし、きっと理解できてもうまく伝えることはできないと思う。まだ自分にはだれも助けられないんだと知る。

 

でも、願うことだけはできる。なんとか男の子の思いが届きますように、男の子が人に伝えようとすることを嫌わないように、その時がんばって伝えようとしたことを忘れないように。あの男の子は、話すことを嫌わずに、自分の思いを伝えたいと思うまま伝えていけたらいいな。

 

 

今日、このことを記録しようと思ったのは、

もしかしたらこの先、

今のこの気持ちを忘れてしまうかもしれない、

これから先、子どもが泣いていても、なんとも思わなくなってしまうかもしれない、

とふと思ったからです。自分が今そう思うこと、自分が今そう感じること、それはその時だけのもので、今記録しないと忘れてしまいます。

 

自分の思いを忘れたくない、

あのとき、何を考えていたのだろうか、

そんなふうになりたくない。

 

これからの自分のために、

貴重な一日を大切にするために、

過ぎていく今日を記録する。

毎日の思いと考えに向き合って、

毎日ひとつひとつまとめきることで、

毎日次の段階へ行く。

 

そうやって「今日」を守っていくことで、

自分だけの、自分なりの「楽しかった」、

そう思える毎日ができる。

 

そして、いつかそれは

大切な思い出になって、

しんどい時に助けてくれるはず。

 

毎日を守って、忘れないように、

今を忘れないために、

今日も「今日」を記録する。

 

 

 

生まれた季節を思う。

自分の生まれた季節を思う。

 

私が生まれた季節、

それは、雪がふわふわと舞う冬。

 

少し、寒さが大きくなった今、

そんな空気に包まれたいなと、

生まれた季節について、

思いを寄せてみる。

 

 

とてもとても静かな空間

 

ふぅっと、

息を吐いたら、その音しか聞こえない

 

まっしろな雪と雪の山

  

ゆきがたくさん、積もって

ゆきがたくさん、舞って

 

見ているだけで自然と頬が緩み、心おどる。

 

声を出して笑ったら、

自分の息が、まっしろくて、

まっしろい風船になって、そこに浮かぶ

 

それをパチン、と手でたたいてみたり

パタパタとして、動かしてみる

その周りをぐるぐるとまわって

消えていく姿をじっと見る。

 

雪の静かな空間と、太陽のあたたかな光

その空気にずっと、包まれていたい

 

もっともっと笑って、たくさん笑って

そこにある自然に向けて、

自然な笑顔で、そこに立つ。

 

そうしたら、そこにだれかがいるような

だれかが見守ってくれているような気になる

 

ふわふわとお話しして、

ふんわりした言葉で何かを伝える。

それでも伝わるような、

そんな友達に会えるかもしれない。

心から会いたいと思ったら。

 

 

冬に生まれた私は、

騒がしい空間の中で埋もれていると、

あの静かな雪山の中にいたい、

キラキラと銀色に輝く雪山に触れていたい

と、いつも思う。

 

光る太陽が雪山にうつって、

その青空と、銀色の雪山が私の目の中に映る。

 

雪の飾りに、雪のおかし、

雪の飲み物に、雪のワンピース

たくさんの雪に囲まれて、

雪山に注ぐ太陽に

ありがとう、とさけんでみる

そして、大きく両手を振ってみる

 

小さい頃のように、

たくさんたくさん、意味もなく、

無邪気に笑って笑って、大声で笑う。

 

 

自分の生まれた季節を思う。

 

まだ見ぬ冬の雪に、心を寄せる。

想像の中の雪は、ふわふわ舞って

私に触れた瞬間、とけてなくなる

 

 手のひらに雪がついていないことに気づくと、

冬はもう少し先なんだと気づく

次、雪に会えるのはいつだろう。

そう、思いながら冷えた手をにぎる。

 

 

 寒さが厳しくなりました。

お身体にお気をつけてお過ごしください。

 

 

 

時に、ひらがなで

自分の名前を、

すべてひらがなで書いてみる

 

カクばっていなくて

まるい字が6文字になる

 

曲線が多くて、

どこか愛らしくなる

 

漢字には意味が込められている

ならば、このひらがなには

どんな意味が含まれているのだろう

 

ひらがなの名前を書きながら

いろんな想像をふくらませる

このひらがなにはきっと、

優しさがある、明るさがある、元気がある

 

そうやって、

ひらがなの名前を書くとき、

自分なりのルールを意識する

 

名字と名前のバランスが、

左右ふんわりつりあうように書く

 

名字が重たく、

名前の存在が薄くなることはイヤだから。

 

 

カクばった勇ましいような漢字を、

時にひらがなに書き換えて、

音の持つ優しさをおもてに出してくる

 

 

強がらなくていい

名前には、もともと優しさが備わっている

 

優しさをいつも持っているなら、

どんなところへも行ける

 

 

まっしろな鳥のように

ふんわり軽く、

 

そんなふうに

なまえをかいてみる 

 

また明日ね。

過保護のカホコ

また明日ってこんなに素敵な言葉だったんだね

というセリフがあった気がする

 

 

また明日ね!

小学生の頃も、中学生の頃も、高校生の頃も、

たくさん言っていた

 

毎日会うとわかっていても、

また次の日の朝会えると思うと嬉しくて、

また明日ねって大きく手を振っていた

 

 

でも、今はどうかな?

また明日って言ってたかな。

言ったとしても「じゃあまた」くらいかも

 

じゃあまた、

この言葉だと

大切な意味が込められた「明日」が入っていない

 

 じゃあまた、

その言葉ではなく、

また明日!また明日ね!

その言葉が聞きたい。

 

そして、また明日ね!

と言いたいと思える人に、出会いたい

 

 

 また会いたいと思う人に会えるように、

また会いたいと思われるような人になろう。

 

そして、

また読みたいと思う本に出会いたい。

また行きたいと思う場所に出会いたい。

 

 

 

 また明日ね!と言える友達が増えたなら、

もっと日々に花が咲く

 

また明日ねと言えるようになろう

また明日ねって言ってもらえるような友達になろう

 

 

そして、

また読みたい、また明日、と

思ってもらえるようなブログになれたらな

 

 

では、今日、

読んでくれてありがとうございます。

 

 

また明日!

 

 

 

雨と車の色

今日は雨。

いつもよりいろんな色の車がたくさんあらわれる。

 

おいしそうなレモン色

ライムの色だったり

森のような緑色

プチトマトのような真っ赤な色

 

あれはカフェオレの色だ!

あれは白に水色が入っているのかな?

 

たくさんの車の色集めをして、

私はどんな色の車が欲しいのかな、と考えてみる

 

 

でも、

車によって祖父に会えなかった私は、

車を手に入れたいと思っているのだろうか。

 

それでも、

もっと遠くへ、

自分だけの空間で、

自分の色の車で行ってみたいと思う

 

 

でも…

 

自分の車、

私は欲しいのだろうか。

 

 

雨が見える透明の傘で

隠れられないけれど、傘に隠れて

いろいろ、考えてみる。