月の葉っぱ

夜明けはもうすぐそこに。

小さな幸せのおすそわけ

今日見つけた小さな幸せのおすそわけです。

 

電車の中で、どんぐりを落とした男の子

電車のゆれにも負けず、必死に見つけてきて

手にぎゅっと大切に握っていました。
真剣な目をして、大切な宝物のようにどんぐりを守っていました。

 

私にとって、今の大切な宝物ってなんだろう

と考えさせてくれました。

 

抱っこされた赤ちゃんを見て、

「あかちゃんだ!」と言って喜ぶ

小さな小さな女の子

女の子と赤ちゃんにしかわからない目の会話をして、おかあさんと降りていく赤ちゃんに
「また明日ね!」と言ってにこにこと手を振る

 

明日会えるかわからなくても、

偶然会えた人に「また明日」と言える素敵さ。

本当に明日会えるかは関係ないんだね。

また会いたい、ということを伝えるために

「また明日」っていうんだね。

 

 

家の中にいても、

外に着ていくお気に入りの服を着て

お家お外気分をあじわう。

家の中を移動するだけでも、

お気に入りの服が目に入ることで気分があがる。

 

そして、その服のまま

家のあらゆる床をほうきで掃いて

邪気を払った!という達成感をあじわう。

 

掃除を終えたら、

あたたかい紅茶とチョコレート

高くなくても、とってもおいしく感じる夕方

 

掃除して出てきた書き損じはがき、

郵便局へ切手に交換しにいく。

これでまた手紙が書ける、だれに書こうかな?

だれに送りたいかな?

 

 そして、

小さいことに怒らなくなった自分、

ありがとうございますと言えるようになった自分に気づき、心が明るくなる。

 

 

久しぶりに聞いた「いのちの記憶」からは、

ずっと心に置いておきたい言葉が聞こえてくる

 

「今の全ては過去の全て」

「今の全ては未来の希望」

「必ずまた会える 懐かしい場所へ」

 

この幻想的な空間に、日常にいながら入れることに、不思議な幸せを感じる。

 

 

雨で乾かなかった洗濯物を

乾燥機であたためる。

 

乾燥機からでてきた衣服たちは

かさだかくなって、ふんわりしている。

服のやわらかさとあたたかさ、

こんなところにもほっこりする幸せが隠れている。

 

ふかふかした洗濯物。

きっといつまでも好きなんだろうなぁ。

 

 

夜の風につつまれながら自転車をこぐ。

夜の空気をたべながら、自転車に乗る楽しさと軽やかさで遊ぶ。

 

夜の空気は、ひんやりおいしくて、

夏に食べたかきごおりを思い出す。

 

そして、今、今日を思い出している幸せ。

 

今日見つけた小さな幸せ。

書いていて、思い出していて、

心が優しくなった気持ちになれました。

 

小さな幸せといったけれど、

ぜんぜん、小さくなんかない、

大きさや小ささなんてないだって、

今日気づきました。

 

どんなことでも、

心をあたためてくれるなら、

それは大きな幸せなんだろうな

とてもとても貴重で、大切な幸せなんだろうな

 

そう、思いました。

 

ふかふかした洗濯物をたたみながら、

ふかふかした幸せを思い出す。

 

ふかふかとここにいれる幸せを感じながら、

明日も、一日を大切にすごそうと決める。

 

 みなさまにも、

小さくて大きな幸せがありますように。

 

今を忘れないために。

今日、電車の中で大泣きしている小さな男の子がいました。泣いて泣いて泣いて、本当に悲しい気持ちであふれていました。最初は、どうして泣いているのだろうと、遠くから見ていただけでした。

 

でも、気づいたら自分も悲しい気分になりそうなことに気づきました。小さな子の泣き声を聞いていると、心がぎゅーっとにぎりつぶされるように苦しくなりました。小さい頃を思いだして、伝えたいのに伝えられない、伝えたいのに伝わらないんだと思うと、つられて自分も悲しい気分になっていました。

 

でも、私はまだ声をかけられるほど強くない。そして今なら、泣いていた自分から離れて見ることで、外からは本当に何を伝えたいのかわからない。私も、男の子が何を伝えたがっているのかわからない。男の子もどう伝えたら伝わるのかわからない。

 

私はまだ、自分のことさえもうまく伝えられない。だから、男の子が言いたいことも分からないし、きっと理解できてもうまく伝えることはできないと思う。まだ自分にはだれも助けられないんだと知る。

 

でも、願うことだけはできる。なんとか男の子の思いが届きますように、男の子が人に伝えようとすることを嫌わないように、その時がんばって伝えようとしたことを忘れないように。あの男の子は、話すことを嫌わずに、自分の思いを伝えたいと思うまま伝えていけたらいいな。

 

 

今日、このことを記録しようと思ったのは、

もしかしたらこの先、

今のこの気持ちを忘れてしまうかもしれない、

これから先、子どもが泣いていても、なんとも思わなくなってしまうかもしれない、

とふと思ったからです。自分が今そう思うこと、自分が今そう感じること、それはその時だけのもので、今記録しないと忘れてしまいます。

 

自分の思いを忘れたくない、

あのとき、何を考えていたのだろうか、

そんなふうになりたくない。

 

これからの自分のために、

貴重な一日を大切にするために、

過ぎていく今日を記録する。

毎日の思いと考えに向き合って、

毎日ひとつひとつまとめきることで、

毎日次の段階へ行く。

 

そうやって「今日」を守っていくことで、

自分だけの、自分なりの「楽しかった」、

そう思える毎日ができる。

 

そして、いつかそれは

大切な思い出になって、

しんどい時に助けてくれるはず。

 

毎日を守って、忘れないように、

今を忘れないために、

今日も「今日」を記録する。

 

 

 

生まれた季節を思う。

自分の生まれた季節を思う。

 

私が生まれた季節、

それは、雪がふわふわと舞う冬。

 

少し、寒さが大きくなった今、

そんな空気に包まれたいなと、

生まれた季節について、

思いを寄せてみる。

 

 

とてもとても静かな空間

 

ふぅっと、

息を吐いたら、その音しか聞こえない

 

まっしろな雪と雪の山

  

ゆきがたくさん、積もって

ゆきがたくさん、舞って

 

見ているだけで自然と頬が緩み、心おどる。

 

声を出して笑ったら、

自分の息が、まっしろくて、

まっしろい風船になって、そこに浮かぶ

 

それをパチン、と手でたたいてみたり

パタパタとして、動かしてみる

その周りをぐるぐるとまわって

消えていく姿をじっと見る。

 

雪の静かな空間と、太陽のあたたかな光

その空気にずっと、包まれていたい

 

もっともっと笑って、たくさん笑って

そこにある自然に向けて、

自然な笑顔で、そこに立つ。

 

そうしたら、そこにだれかがいるような

だれかが見守ってくれているような気になる

 

ふわふわとお話しして、

ふんわりした言葉で何かを伝える。

それでも伝わるような、

そんな友達に会えるかもしれない。

心から会いたいと思ったら。

 

 

冬に生まれた私は、

騒がしい空間の中で埋もれていると、

あの静かな雪山の中にいたい、

キラキラと銀色に輝く雪山に触れていたい

と、いつも思う。

 

光る太陽が雪山にうつって、

その青空と、銀色の雪山が私の目の中に映る。

 

雪の飾りに、雪のおかし、

雪の飲み物に、雪のワンピース

たくさんの雪に囲まれて、

雪山に注ぐ太陽に

ありがとう、とさけんでみる

そして、大きく両手を振ってみる

 

小さい頃のように、

たくさんたくさん、意味もなく、

無邪気に笑って笑って、大声で笑う。

 

 

自分の生まれた季節を思う。

 

まだ見ぬ冬の雪に、心を寄せる。

想像の中の雪は、ふわふわ舞って

私に触れた瞬間、とけてなくなる

 

 手のひらに雪がついていないことに気づくと、

冬はもう少し先なんだと気づく

次、雪に会えるのはいつだろう。

そう、思いながら冷えた手をにぎる。

 

 

 寒さが厳しくなりました。

お身体にお気をつけてお過ごしください。

 

 

 

時に、ひらがなで

自分の名前を、

すべてひらがなで書いてみる

 

カクばっていなくて

まるい字が6文字になる

 

曲線が多くて、

どこか愛らしくなる

 

漢字には意味が込められている

ならば、このひらがなには

どんな意味が含まれているのだろう

 

ひらがなの名前を書きながら

いろんな想像をふくらませる

このひらがなにはきっと、

優しさがある、明るさがある、元気がある

 

そうやって、

ひらがなの名前を書くとき、

自分なりのルールを意識する

 

名字と名前のバランスが、

左右ふんわりつりあうように書く

 

名字が重たく、

名前の存在が薄くなることはイヤだから。

 

 

カクばった勇ましいような漢字を、

時にひらがなに書き換えて、

音の持つ優しさをおもてに出してくる

 

 

強がらなくていい

名前には、もともと優しさが備わっている

 

優しさをいつも持っているなら、

どんなところへも行ける

 

 

まっしろな鳥のように

ふんわり軽く、

 

そんなふうに

なまえをかいてみる 

 

また明日ね。

過保護のカホコ

また明日ってこんなに素敵な言葉だったんだね

というセリフがあった気がする

 

 

また明日ね!

小学生の頃も、中学生の頃も、高校生の頃も、

たくさん言っていた

 

毎日会うとわかっていても、

また次の日の朝会えると思うと嬉しくて、

また明日ねって大きく手を振っていた

 

 

でも、今はどうかな?

また明日って言ってたかな。

言ったとしても「じゃあまた」くらいかも

 

じゃあまた、

この言葉だと

大切な意味が込められた「明日」が入っていない

 

 じゃあまた、

その言葉ではなく、

また明日!また明日ね!

その言葉が聞きたい。

 

そして、また明日ね!

と言いたいと思える人に、出会いたい

 

 

 また会いたいと思う人に会えるように、

また会いたいと思われるような人になろう。

 

そして、

また読みたいと思う本に出会いたい。

また行きたいと思う場所に出会いたい。

 

 

 

 また明日ね!と言える友達が増えたなら、

もっと日々に花が咲く

 

また明日ねと言えるようになろう

また明日ねって言ってもらえるような友達になろう

 

 

そして、

また読みたい、また明日、と

思ってもらえるようなブログになれたらな

 

 

では、今日、

読んでくれてありがとうございます。

 

 

また明日!

 

 

 

雨と車の色

今日は雨。

いつもよりいろんな色の車がたくさんあらわれる。

 

おいしそうなレモン色

ライムの色だったり

森のような緑色

プチトマトのような真っ赤な色

 

あれはカフェオレの色だ!

あれは白に水色が入っているのかな?

 

たくさんの車の色集めをして、

私はどんな色の車が欲しいのかな、と考えてみる

 

 

でも、

車によって祖父に会えなかった私は、

車を手に入れたいと思っているのだろうか。

 

それでも、

もっと遠くへ、

自分だけの空間で、

自分の色の車で行ってみたいと思う

 

 

でも…

 

自分の車、

私は欲しいのだろうか。

 

 

雨が見える透明の傘で

隠れられないけれど、傘に隠れて

いろいろ、考えてみる。

 

 

 

 

それでも、笑顔でいること

今日も曇り空ですね。ほんの少し、息苦しい気分です。昨日に引き続き、もう少し、普段の自分が思うことを書いてみようと思います。

 

 「私より辛い人がいる、だからこんなことで苦しんでいては」という言葉があります。もちろん、私もそう思うことが多いです。地球のどこかで、水を運ぶことが仕事だとされ、学ぶ時間を与えられらない女の子、児童労働で自分の時間を持つことを許されない子どもたち、虐待を受ける子ども、体罰を受ける子ども、あらゆるハラスメントに苦しめられる人々。私の知らないところで命を絶とうと考えている人たち、そういった、私の知らない場所で、私以上に苦しむ人がたくさんいます。だから、私の息苦しさなんて、なんてことないだろう、と思うことがよくあります。

 

でも、私が息苦しいと思っていることは、私にとって「なんてことない」と片付けられないことなのです。それに向き合うしかないと、向き合っていかないと、私は小さく消えていってしまうと思います。もしもそれを片付けてしまったら、私が「私」として生まれた意味がなくなるような気がします。なんてことないなら、無機質な物と同じになってしまう、そう感じてしまいます。

 

どうして息苦しいのだろうと、のどの奥が詰まるようになるたびに考えてしまいます。そして、それは自分の中にある影のことなんだと気づきます。いつも体のどこかに影の自分がいます。今までの辛かったこと、あらゆるものを傷つけたこと、今までの道徳をもたない心、そういったことが自分の中に影としてあります。ずっと、長い間、影から目を背けてきました。今のまま、これからを考えたほうが明るくなれる、と考えていたからです。影の自分なんて追い出してしまえ、と思っていました。しかし、本当は影の自分に向き合って、影の自分を追い出さずに、居場所を与えることが大切なんだろうと気づきました。影に向き合わない限り、そこにある光にも気づけないと思うからです。自分の中の影にどう向き合い、どう受け入れ、どう対応していくか。ふと息苦しくなった時に考えたりしていることです。

 

自分の心の中にある影は、他の人にはない、自分だけの財産だと思います。過去のことも今のことも、どんなに嫌なことも忘れずに捨てずに、いつまでも大切に持っておく。いつか、そのおかげで今の自分があるのだと気づくことができます。その影でいつか救われることもあると思います。その影を越えるためになんとか動いて、その影を越えたからこそ得たものがある。今では、自分の影にこそ、そこに魅力が、個性が、あるのかもしれないと思っています。 

 

私は自分の影の部分を知っているから、素直に明るい性格だと言えません。でも、「明るいね」と言ってもらえます。そう言ってもらえることは複雑に思えても、私にとってはとてもうれしいことです。影の部分を持っていても、外には影は見えていない、そう思いました。見えていないなら、居場所を与えて、自分の中に大切に持っていたらいいのかもしれないと気づけました。

 

影の自分を追い出さない。どんな自分も追い出さないで、大切に守ろうと思います。自分が自分を守って、自分が自分にとって一番の親友でありたいと思います。時には、自分が自分に厳しく接して正す。時には、自分が自分に声をかけてあげる。自分だけはいつまでも、決して裏切らない親友でいよう、そう思います。

 

私は、影の自分を持っていながらも「悩みがなさそう」と言われるくらい、いつも笑っていたいと思います。いつも笑って、笑顔でいて、明るい自分でいたいと思っています。それでも、いつも笑っていても、しんどくなったら影の自分に会いに行く。 そうやって、自分の中にある影をいつまでも大切に持っておこうと思います。

 

そして、かつて私が、無条件に包んでくれる風に心が救われたように、いつか誰かを救えるような太陽の光になりたいと願います。できれば、からっからの太陽の光ではなく、少しほんのりと湿ったようなあたたかさをもった太陽の光のような存在になりたい。風に救われた私は、いつまでもその気持ちを忘れないように、風を楽しめる服を着続けます。そんなふうに、ずっと一緒にいたいと思ってもらえるような太陽の温かい光になりたい。

 

今の自分が温かい光になれたなら、過去の自分もきっと、辛くても、生きていてよかったと言ってくれるはず。水の中でずっとうずくまっていたころ、太陽の光はあわいものしか知らなかった。でも、いま、水の外に少し顔を出して、直接太陽の光を浴び始めることができました。 ブログをはじめたことで、かつて褒められることがなかった私にも、たくさんの温かいコメントや誉め言葉を頂けるようになりました。今までかけられたことのないような、こんなにもあたたかいコメントをたくさんもらって、水の外に出られるようになりました。本当にありがとうございます。心から感謝しています。水の中で感じていた息苦しさは、少しずつ消えていくと思います。私の見えていた曇り空には、少し太陽が見えてきました。

 

いつか、頂いた温かい優しさを私も返していけるでしょうか。

今はまだ水の外に顔を出せたくらい、でもいつかきっと水の中から外に出て、「ありがとうございます」と伝えに行きたい。その時までは、待っていていただけますか。

 

それとも、あ!あそこにいる!と言ってもらえるような光になって、周りを照らすことができるくらいに成長する、それが、一番のお返しなのかもしれません。そのために、どんなときも、笑顔で笑っていようと思います。見つけてもらえたその時、あの時のお返し受け取ったよと、心の中で思って頂けたら、私の願いも叶ったことになります。いつまでも、どんなときも笑顔でいよう。これからの、自分にとって一番大切な目標です。長い駄文を失礼しました。ここまで読んで頂きありがとうございます。

 

息苦しい、しんどい、

それでも、笑顔でいよう。

 

影の自分がいても、

思いっきり明るい太陽になりたい。

 

それでも、笑顔でいる

それでも、笑顔でいたい

 

ずっと笑っていよう。

いつまでも照り続ける太陽のように。