月の葉っぱ

夜明けはもうすぐそこに。

やってみよう!

 

こんなことしてみたい!

と思ったとき、それがすでにみんなの中に

イメージとして根付いてしまっているとき、

 

こんなことしてみたい!

でも、こんなイメージがあるから嫌だなぁ

と思ってしまうとき、

 

やりたいと思うなら

やりたいと思えたとき

素直にやってみたいなぁ

 

じぶんがそのイメージをこわす存在になればいいし、じぶんの中にもあるすでに根付いてしまったイメージもこわしていけたらいい

 

 

こんなイメージがあるから

というときは、

じぶんの中にも

こんなイメージがあるから嫌なんだと。

 

だからまずは、じぶんの中にすでにあるイメージをこわしていけたら、いろんなことに挑戦できるはず

 

 

やってみよう!

 

一言であらわせられる?

 

なりたいこと、やりたいこと、

やってみたいことって一言で表せるの?

 

こんなことが、できればいいなぁって

こんなふうになれたらなぁって

そんな感じに 、本当に思うことを表現するとアバウトに表現される気がする

 

まだ起きていないことで

想像だから、はっきりとした言葉ではあらわせられないと思う

 

これになる! って言ってしまうと

それになる

 

そう言ってしまうと他の道はすべて閉ざされたかのように感じてしまう

 

本当になるべきものなら

そう決めていいのだろう。

 

でもなんか、予想ができてしまう感じ

予想できてしまうことって、楽しめるかな?

その予想は確かではないけれど

 

こんなふうに、ってアバウトに願うから

自分に一番あうものを探していける

 

これ!と決めてしまっていいのかな

 決めてしまうと、自分はそればかり探して

他にあるいろんな道が目に入らなくなってしまう

それはもったいないような気がする

 

 

でも、決めてしまわないと残る不安もある

人にうまく伝わらない

なりたい職業を言う方が、

話はさくさく進むし、

自分にとっても、

どこへ向かうか明確にわかるから安心できる

でも、その安心が自分の可能性を狭めてしまうかもしれない

 

 

自分の中で、自分のやってみたいことを、

言葉によって決めつけられない状態で、

映像として想像していけたらいいな

 

 

なんだかぼやっとしているけれど

 

 

いつも自分の言葉で

 

どんな時も自分の言葉で

自分の考えを話したい

 

自分の言葉で

自分の言葉を話したい

 

自分の言葉で、

自分の思いを まとめるのが好き

 

でも、時に素敵な言葉を見つけると

自分も使いたくなる

 

例え声がうわずっても

自分の言葉だけで、

自分の考えを伝えられるようになったらいいな

 

人から聞いた話そのまま

人の考えそのまま

ではなく、

自分の言葉で考えることができるように、

毎日自分なりに考えて

自分の考えを持って、自分の言葉で伝えて

いろんな人の考えを吸収できるようになっていこう

 

自分の考えは、

自分の言葉でしか伝わらないと思うから

 

人の言葉を安易に使わないように

気を付けていこうっと。

 

 

 

日光はそこまでして避けるもの?

 

今日もたくさんの日傘に囲まれて、

目にささりそうと少しおびえながら、

駅から塊のように学校へ向かう

 

朝学校へ行って、 日が落ちた頃に帰る

 

そんな日は、あまりにも自然に触れていないから 朝の日光くらい浴びた方がいいんじゃないかな、と いつも思っている

 

 

駅から少しの距離も 、

日傘を差している大学生を見て素直に思う

 

通学時間くらい日光浴びてもいいと思うんだけどな

 

思いっきり日焼けしてしまうほど、

歩くわけではないのに、日傘さすのかぁ、

と思ってしまう

きっとみんなUV対策も万全で、その上で日傘も差している。

 

そんなにも、

夏を避けなくてはいけないのかなぁ

 

夏らしい 照りつける日の中、

歩くことはしんどくても、

今だけだ、今が夏でそれを過ごすときなんだ!と思う

 

それでもみんな夏には必死に対抗していく

 

なんか、

自然に対抗する!ってことではなくて、

もっとそのまま、自然に対応していくってことは無理なのかな?そう考えることっておかしいのかな。

今は昔より暑いから 熱中症が危険、

でも、日焼け止めに、日傘に、かつ日光を少しでも避ける、

そこまでして、 日光を避けてしまったら 自然の中を生きることなんて 到底できないような気がしてしまう

 

自然に抵抗!ではなく、

自然に適応!できていったらいいな

 

ただそのまま、太陽の光を浴びていたら

元気になれる気がする。だから、すこしでも

太陽の光を自分の中に吸収してみようとも思ったりする。

みんな日光を浴びる時間が少なかったりするから、元気がでない日があるんじゃないかな。どんなに作られた世界に人が馴染んでも、人はやっぱり自然を求めているような気がする。

 

人間も適応していったら、

強くなれるんじゃないかな 

 

手のひらいっぱいに日光浴びたら

なんとなく、少しでも元気でると思うなぁ

 

かめのひなたぼっこのように。

 

 

 

 

 

 

予想通りの会話?

 

いろんな人と話してて思うこと

 

あれ、そういうことじゃないのに。

なんか言ってほしいことが違う、

ん?なんでそういうの?こういう流れなのに

 

求めてることと違う時、

話したいことと違う時、

何でだろうとずっと思っていた

 

そこで思ったのは、

あれ、じゃあ求めている答えがかえってきたら満足なの? 期待通りの会話で満足なの?

ということ。

 

そっか、自分が望む会話をしているときって望んでいるから楽しいけれど、予想できている分、その分おもしろくなかったりするのかも

 

そう思ったら 、どう進んでいくかわからない会話のほうが 、自分の予想がつかないから きっと楽しいのかもと思った

 

あ、なるほど そうきたか

え、そんな展開もありなのか、

というように 未知な会話を楽しむ方が

いつもの会話より 何倍も面白かったりして

 

 

この流れだと、こうなるな、

という安心感も、あってこその面白味だけれど、

しばらくは

これからは 何も予想せず

どの展開も期待せず

そのまま会話を楽しんでみよう 

 

 

 

授業が終われば日常に戻る

 

どんなに 貧困や途上国の現状を学んでも

みんなの意識が変わることってないのだろう

 

みんな安いものを求めるし、

貧困に苦しむ人がいても

ブランドものに身を包む

 

 

みんなその時だけ、

この現状を変えていかなくては!

とやる気に満ちているのに、

授業終了のチャイムがなれば、

あっさりと、もとの裕福な生活に戻っていく

 

試験が終われば、

すべてすっかり忘れて

遊びの世界へ。

 

学んでからすぐに、

私たちが何かできるってことはないから、

私たちには何ができるかわからないから、

動けないのかもしれない

 

それでも

貧困に苦しむひとがいるってことを認識する、知らなかったら、知らない間に自分の言葉が人を傷つけているかもしれない

 

無知の包丁のように

 

でも認識している、

それだけでいいのだろうか

 

そもそもの、

みんなの安いものを求める

必要以上のものを求める

ものによって人の価値を見たり

そんな意識がなくなれば、

過酷な労働環境の中で、

ものを作り続ける必要がなくなるのかもしれない

 

 

だから、ミニマリストの生活は

見ていて少し怖いけれど、

物を求めない

というその意識はこれから必要になると思う

 

ものだけではなく、

もっと大きな問題があるのでしょう、

それはもっと知ろうとして

学んでいかなくてはいけない

 

考え方や、会話

それが産業になっていけば

もう、ものは必要ない

 

得る時代から、与える時代に、

なってきたのかもしれない

 

 

きっとそんな簡単なものじゃないし、

これだとただの夢物語のようだけれど、

今、自分にできることといったら

あらゆる現状を知ろうとして、考えることなのかな、(現場を知らないと考えても意味はないのかもしれないけれど)

 

 

自分の無知を知って、

それでいて何もできない自分も知る

 

いろんなことを学べば学ぶほど

傲慢になることと対極の位置へと進む気がした

 

 

 

 

 

通学が一番の思い出

 

高校時代の一番の思い出は?

その問いは大抵、修学旅行や行事を答える質問になっている

 

いつも面倒だから、

行事を答えてしまうけれど、

本当の思い出は、 行事ではなく 、教室の中での日常でもなく、

 

ただ黙々とひとりで

自転車で学校に向かっていた時間が

自分にとって一番大切な思い出だと思う

 

一人で学校へ向かう 自転車の音、

自分のこぐ音 と自然の時間

 

一人で家へ向かう

自分だけの自分のための時間

 

その日あったことを思い出したり、

どんな日々を過ごしたいかほわほわと想像してみたり

 

もくもくと前へこぎつづける

 

大雨が降っても 自転車で通った

どんなに暑い日もどんなに寒い日も

自転車で通った

 

自分にとっては一番、自分と向き合える大切な時間だったから

 

たった40分だけだったけど

自分にとって大切な静かな時間で

今も思い出すと、 幸せだったなぁと思う

 

今は電車だから いつも人にかこまれている

友達に会えば、目的地に着くまでずっと一緒

最後まで話続けなくてはいけない

 

ずっと一人で目的地に向かえる幸せに

最近気づいた

 

一人で学校へ向かって、教室に着いたときの友達がいる安心感、40分しかだまっていないのに、人と話せる!と嬉しくなったり

 

風の中を通り抜けていく

自転車に乗っているときが一番自然と近かった

 

でも今は電車の中で

こもったにおい ホームのにおい

 

自転車だと人が流れていくように離れていったのに 、今は長い時間同じ人が近くにいて 少し息苦しい

 

自然がそばにない

外の景色にあってももちろん足りない

 

直に外にいた頃は 、外の空気を思う存分に吸えていたのに

 

一日の中で失敗をしたとき、後悔することをしてしまったとき、 自転車に乗れば いつもの自分に戻れた気がしていた

 

そこでいつも自分反省会

家には持ち帰らないようにしていた

 

通学が一番の思い出なんて

おかしい、と思われるかもしれない

 

でも、その通学の時間が

今の自分に大きく影響している

 

また自転車乗りたいな 

ふらふらと、ではなく、目的地に向かうなかで、自由な時間を過ごせるあの時間

 

一人で自転車

久しぶりにやるとまた何か思い出すかもしれない、また何か見つけたいな