月の葉っぱ

夜明けはもうすぐそこに。

私は時間を使わない。

 

私が今

話したくないと願うのは

信じていないから。

 

 

信じたくても

もう信用できないから。

 

これ以上、

傷つきたくない

 

これ以上、

嫌いになりたくない

 

 

わかったふりをして

あとで裏切られると分かっていることに

私は時間を使わない。

 

 

 

私は何を学びにきたのだろう

私は

急かされることで

「落ち着くことが重要と学びにきたのかな」

 

私は

焦らされることで

「自分のペースを学び、貫くことを学びにきたのかな」

 

私は

決めつけられることで、

「相手のことを簡単に決めつけてはいけない、

それによって相手はひどく心が傷つくと学びにきたのかな」

 

私は

話すタイミングが選べないとき

「人には、それぞれ話したいと思うタイミングがある。

そんなことを学びにきたのかな」

 

 

私は

人に相談しても、傷つけられることが多いのは

「人の言葉は、簡単に人の心を傷つけ、

人を信じられないようにまで追い詰めてしまう

ということを学びにきたのかな」

 

または、

「自分の答えは、自分で答えを見つけていくことが、

一番自分の人生を作れる、ということを学びにきたのかな」

 

 

嫌なことを感じながら

私は何を学びにきたのか、

そう感じてみる。

 

 

待つこと、

人を信じること、

信用。

 

これらを、

否定されてきた上で

この先学んでいくことなのかな。

 

 

 

私は何を学びにきたのだろう

 

 

私は自分から扉を開けたい。

 

人にはそれぞれタイミングがあって

 

話したくないときに

話をするよう要求されると

心がにぎりつぶされる

 

 

心を開こうと、

話したいと思えるその時を待とうと 、

しているときに

要求されると

私は再び心を閉ざす。

 

 

急かされ焦らされ

決めつけられると

私は心を開くことをやめる

 

 

心の扉を無理にこじあけようとされたら、

私は鍵をかける。

 

 

わかってる、わかってあげたい

その思いは、

今の私には、

ただの焦りで

優しさではないと

心のどこかで感じている。

 

 

 

 

私は、

自分から扉を開けたい。

 

 

 

自分の思想

 

自分の思想をもつ。

 

誰かにすがる、

誰かによりかかる

誰かの思想を信じ切る。

 


それって楽だけど

やっぱり、

維持するのも大切に守り抜くのも

大変な
自分の思想を持っていたい


揺るがない思想を。
少しずつ修正を加えながら

大切にもっていたい。

 

 

欲をいえば

 

本音は

自分たちは信じられていない

信じられないような人たちなんだって

知ってほしいだけなんだ

 

そのことに、少しでもいいから

ショックを受けてほしい

 

 

だからといって

苦しんでほしいわけでは ないのだけど

 

 

 ごめんなさい。