小さな大学生

答えがでなくても、ぐるぐる考える。

こどもになる。

最近、気づく度に、子どもになっているような気がします。それは劣化や退化ではなくて、むしろ成長に近いのかなと思います。

 

感情をそのまま出せることも、やってみたい!と思うことをやってみたり、思い付くことが増えたりすること、いろんなところへ行きたい遊びに行きたいと思うこと、これらはみんな「こども」であることの最高の喜びだと思います。それらが少しずつ、自分にもできるようになってきたのです。

 

小さい頃からずっと、真顔で、相手の言うまま聞くままをじっと受け入れてきました。それは「相手を受け入れる」なんて崇高なことではなくて、ただの「あきらめ」に近かったような気がします。命令されたら「はい」と受け入れ、話すなと言われたら「はい」とだまる。ほとんどのことにあきらめたような気持ちでいたからか、小学生の間はずいぶん退屈で暇な時間を過ごしました。その証拠に小学生のアルバム写真はずいぶん大人びています。今の顔と比べるとびっくり、今の方が小学生っぽい顔なのかも…

 

ぐっと押さえてきた感情も出せるようになりました。笑いたくても笑わなかった頃から、笑うから楽しいという言葉を信じていつでも笑おうと笑顔でいたり、苦しいときは「無」でいるのではなく、とことん苦しさに向き合ってみたり。友達と話しても楽しくないなんて考えていた頃から、自らこの会話を楽しもうとしていたり。こどものように何でも楽しもう、どんなことも遊びにしてしまおう、と変わってきた私。

 

おとなに近づきつつ、こどもになっていく私は、こどものように無邪気にすごしてこなかったこども時代を今、過ごしています。そんなちょっぴり楽しいような難しいような時間をこれからも過ごしていきます。もう少ししたらこども時代を満喫し終えて「おとな」になれるかな?おとなになって、だれかを救えるようなそんな存在になれるかな?

 

こどもの心で就活スーツを着れる?

時には「おとな」を演じてみる?

 

まだまだ難しい期間にいる。

 

今の私は、

こどもっぽい、と言われても傷つかないし

おとなっぽい、と言われても何も思わない。

 

こどもでいたい時はこどもでいる。

 

そんな風に感じています。

 

 

いつでも、どんなときも、

みんながみんなこどもになれる時間があればいいな、という雑談でした。

 

読んでいただき、ありがとうございました!

カラコロ下駄

カラコロした音が好きで、

ハダシで履けることも好きで、

木の感触が何より心地いい。

 

いつも家の外の植物に水やりをしに

下駄を履いている。

 

少し、ほんの少し、

必要以上に歩いてみて、

カラコロ音を聞いてみる。

 

その音がとても心地よくて、

気に入っていたのだけれど、

季節が季節でとても寒くなったため

カラコロ下駄はベランダへ移動。

 

ベランダでは思うような音がでないから、

外でカラコロ下駄を使いたい。

 

もっというと、本当は、

外でたくさんカラコロカラコロ歩きたい。

散歩に使ったり、おでかけに使ったり

 

でも、今は寒くてほんの少ししか歩けない

そして、だれも履いてないことも気になる

まだ家のまわりでしか使えない

 

下駄はサンダルに近い、

サンダルと同じ機能で、

何より音が楽しい。

 

もっと履いて、音を楽しみたい。

あたたかくなったら、

カラコロ下駄履いて外にでてみよう。

 

まだまだすこーし恥ずかしくて

少ししか歩けないだろうけど。

 

下駄を履いて、音を聞きながら

いろんなところに散歩に行きたいな。

 

ワンピースに下駄とか流行らないかなぁ

案外いけるはず、なんて思いながら…

 

 

履き物つながりの過去記事↓

 

atamatokokoro.hatenablog.com

 

 

 今日も1日お疲れ様です、

読んで頂きありがとうございました!

いつも笑顔のその先に、

 

とにかくいつも笑っていよう!と心がけてから、自然と笑顔でいられる時間が増えました。鬱々と不満や文句を言いたがっていた頃から、発言も笑顔の数も格段に違ってきました。そして、不満も文句もほとんど言わないようになって、自然と一緒に不満を言っていた友達から離れ、笑顔で話し合える友達が増えました。笑って人と話すことは本当に楽しい、さらに、笑い合えた時はもっと楽しい、今ではもっとたくさんの人と笑い合って話せたらいいなと思えるほど、人と話すことが好きになりました。

 

 

でも、ふとしたときに気づいたことがあります。

いつも笑顔でいることはゴールではないということ、

むしろいつも笑顔でいることが出発点なんじゃないか、ということです。

 

いつも笑顔でいること、その先には何があるのかな、

その先にこそ何かがあるのではないかな、

いつも笑顔でいること、その先にもっともっと広い世界があって、いつも笑顔でいること以上に楽しい世界があると思います。

 

 

いつも笑顔でいることは、かつての自分にとって大変なことで、無理することもありました。その頃はいつも笑顔でいることが自分にとっての最大の目標で、最終の目標だと感じていました。でも、自然と笑顔でいられるようになった今、もっとその先があると気づきました。

 

笑いたい、笑顔でいたい、その思いから表れてきた笑顔は「ひとつ」しかない、と思っています。その笑顔で人と話すと、いつもおんなじ笑顔、その笑顔で文を書いても、いつもおんなじ文の表情です。「いつも笑ってるね」はもしかするとおんなじ笑顔ってことなのかも、そう気づいてから、いつも笑顔でいることのその先へ行かなきゃと感じました。今まで書いてきた文を振り返ってみると、単一笑顔で書いてきた文だな、という感想を持ちました。

 

 

今、笑顔のその先があると感じるのは、ひとつだけの笑顔で過ごしてきて、自分の中がそのひとつだけの笑顔で飽和してしまったからです。いつも笑わない自分から、いつも笑う自分へ変化して、そしてさらに、自分の気持ちも表せるいろんな笑顔をだせるようになる自分になりたい、そうなろう、と今思っています。それがこれからの最大の目標であり、自分の目指す姿なのかな、と今感じています。そこへ到達したとき、さらにまだまだ先は続く、と感じるか、ここがゴールだと感じるかはそこへ行ってみないとわかりません。

 

すでにある言葉で言ってしまえば「表情豊か」になりたいということ、

私なりに言ってみると色んな笑顔ができるようになりたいということ。

 

その色んな笑顔という文字のように、たくさんの色をもった笑顔ができるようになれば、自分の中にたくさんの色が増えて、飽和する、飽きるなんてことなく「笑顔でいること」を心から楽しめるようになるだろうな。

 

笑顔ひとつでも、心から楽しいと感じたときにあらわれる笑顔、本当にただおかしくて笑う笑顔、感謝を伝える時の笑顔、相手を受け入れよう、許そうと思う笑顔、本当に色々、色んな笑顔。

 

それが自然とできるようになった頃、文の中にも色んな表情があらわれていくのだと思います。「文の表情が変わったね」「色んな文の表情があるね」と言ってもらえたら、いつも笑顔でいると意識して、ひとつの笑顔しか出せなかったあの頃から、自分が立てた目標に近づけたんだと気づけます。

 

 

いつも笑顔のその先に、自分の気持ちを表せる笑顔に、

そんな、自分の目指す姿になるために、たくさんの物、本、人、空間に触れて、たくさん栄養を補給していきます。出会ったすべてのものから学びを得て、表情豊かな私に、色んな笑顔ができる私に、自然と出会えるようになるまで、今の笑顔とともに毎日を過ごしていきます。

 

そんな、ちょっぴり感傷的な気分に浸って、それを書いてみたいと思う「芸術の秋」でした。

 

… 今週のお題「芸術の秋」…

 

「早く帰りたい」って良い言葉だね。

 

早く帰りたい

ね、早く帰りたいね

 

そんな、どこにでもあるような会話を聞いて

「早く帰りたい」っていい言葉だな、と思った

 

 

自分が帰りたいと思う場所があること

帰ったら休める場所があること

 

自分が帰りたい、そこにいたい

と思える空間があるということ

 

自分が戻りたいと思う空間を、

自分は持っているということ

 

心の中に「帰りたい場所」があることは、

自分にとって最高の幸せじゃないかな

 

「帰りたい」だけでなく「早く帰りたい」

自分の落ち着く場所に、

自分が自分でいられる場所に

「早く」行けたら、きっと心も体も元気になれる

 

 

「早く帰りたい」

そんな、何気ないつぶやきに

大きな幸せが隠れていた

 

 

自分だけのあの場所へ帰りたい、

そう思えたらどれだけ幸せなことだろう

 

私も、早く帰りたい、といえる場所を作ろう

 

そして、

自分を待っていてくれるような場所、

そんな場所に出会えるように、

まずは自分が、

帰ってきてほしいと思われる人になろう

  

 

 

早く帰りたい、と言われたら

ね、早く帰りたいねと言えるように。

 

* 

 

 こちらもよろしければ、お暇なときに…

atamatokokoro.hatenablog.com

 

らせん階段をのぼろう

 

心の中にらせん階段をおいてみる

 

毎日少しずつ上へあがっているような

毎日少しずつ下へさがっているような

 

心の成長を感じてみると、

あっそっか、そうだっだんだ、

と理解したり思ったり

 

前はこんな対応できなかったのに

今は落ち着いて対応できるなぁと

感じたり思ったり

 

そんなとき、

ひとつだけ階段をのぼる

 

一歩上へ上がれた、と喜んでみる

 

でも、外から見ると

高さは全然変わらない

 

よいしょ、よいしょと

3歩も5歩も進めたら

「なんか変わったね」って言ってもらえたり

 

 

あるときに

「嫌だなぁ」とほんの少し心に毒を持ったとき

私は一歩、後ろへ下がる

 

愚痴を言いたくなったり

文句を言いたくなったりしたら

私は後ろへ向いて、

下へ向かって何歩も降りる

 

上へあがるには少しずつ少しずつ

下へおりるのは小走りのように早い

 

 

今日は昨日より一歩上に上がれた?

それともそのまま?

それとも何段か下がってしまった?

 

1日のおわりに自分に聞いてみる。

 

今日はどうだった?

今日の自分はどの位置にいますか?

 

んー、

一歩上へ踏み出そうとしている状態かなぁ

 

今日をふりかえってみて、

今日まちがったことを知る。

 

それを知って、「よし。」と言えたら

今日は一歩、上の段へ進んでもいいかな。

 

そんなときも、いろんなときも。

 

1人でいるときもいないときも

友達といるときもいないときも

家族といるときもいないときも。

 

遠くへ旅行に行く日も

近くへ買い物へ行く日も

どこへもでかけない日も。

 

部屋をきれいにできる日も

部屋をきれいにできない日も。

 

前を向いてがんばれる日も

前を向いてがんばれない日も。

 

笑顔になれるときもなれないときも

落ち着けるときも落ち着けないときも。

 

どのときが一番なんてない。

どのときも私にとって一番楽しい瞬間。

どのときも私にとって一番大切な瞬間。

 

落ち込みやすいこの季節に

桜色のセーターに力を借りて、

前を向いて、前を向こう。

 

こんなときも、いろんなときも

どの瞬間もこれからの自分にとって大切な瞬間

 

さ、そんなときも、いろんなときも、

その瞬間に向き合ってみようっと。

 

心を守ろう。

 

心はひとつの島のようなもの

 

私から少しはなれたところに、

大切においておこう。

 

私に流れ込むすべてを、

そのまま島へもっていかないように。

 

 

多くの人の負のオーラや批判、

愚痴、悪口、言い訳や決めつけ

 

たとえそれを受け取ったとしても、

心にはもっていかないようにしよう。

 

 

 

もしも、「私」の中へ、

ずかずかと入ってくる人がいても

心の島には入れないようにしよう

 

 

この島は私だけの空間

ここは私の、「私」を待っている場所

 

 

影響していいのはここまで、と決める

ここからは私だけがいれる場所、と約束する

 

いろんな思い込みや情報、ルールは

そこにはおかない、いれない、入れない。

 

 

影響されない心

それは、生まれたときからあった

「私」のためにある

ひとつの島

 

そのままの、私であるために、

 

心を守ろう。

いつまでも大切に、守っていこう。

 

 

この時は心を水として考えていたそう。

今だと、私の島を囲む水が澄んでほしいな。

 

atamatokokoro.hatenablog.com