月の葉っぱ

夜明けはもうすぐそこに。

『海外旅行熱、急上昇して急降下(つれづれノート㉚)』-お気に入り集め-

 

 表紙を開く。

 

 

ところどころの詩を読んでグッとくる。

 

やはり私は詩が好きだ。

詩が表す何かが。(p.23) 

 

「写真は実際よりきれいに見えるからね~」

と言いながら私もいちいち見る。

 

でも実際に見るとなんでも写真とは違う。

 

物は 目だけで見てるんじゃないんだよね。(p.160) 

 

 

 人と比べた時、

すべての力強さが崩れる。(p.197)

 

 

移り変わりを眺める。

その底に流れているものを感じる。

その全体を覆っているものに思いをはせる。

楽しみながら。(p.297)

 

 

 

(メモ)

今回は他のつれづれノートよりも

お気に入りが少なめでした。

そしてちょっとネガティブなイメージ…

 

ネガティブなものが多かったのか、

選んだものがネガティブだったのか…

 

次のつれづれノートへの つなぎだったのかな~

ふつふつと言葉が湧きあがる前の状態?

 

それともたまたま読んだ時、今の自分に響かなかっただけかも

また、気が向いたら読み直してみよう~

 

 

 

 

『秘密の花園作り(つれづれノート㉞)』-お気に入り集め-

 

スピードスケートで金をとった小平奈緒の言葉で好きだったのは

「よくない時も必ず誰かが認めてくれていたので

それが支えになりました。

 よくない時に認めるって、

その人の力を信じてるからできることだよなあ。(p.29)

 

私は人生に起こるすべてが、

あるべきようにある、なるべきようになっていると思っているので、

これから先にどうなっていくのか、それを知ることが楽しみだ。(p.31) 

 

浮びながら考えたこと。

「素直であることが大事」

「今を起点にしか物は見れない」

「その人の現状を見るとその人の信念がわかる」(p.32) 

 

 

先日、将棋の解説を聞いていたら、

始まってまだそんなに時間がたっていない時に

長く考えている棋士について、

「一手、甘い手があるとあとで大きく響きますから。

後半になって苦しくなるので一手一手慎重に、

大事に考えます」と言っていた。

 

そうか、そういうところが好きなんだと私は思った。

 

それは私たちの人生も全く同じだ。

ひとつ、甘い行動をとると、

あとで大きく響くので、どんな行動も注意深く慎重に。

 

本当にこれを言っていいか、ここに踏み込んでいいか、

自分の道を外れていないか、などなどを考えて行動しなくてはいけない。

 

そうやって考えると、今、どの飲み物を飲めばいいか、

今日どの映画を見るべきか、何を学ぶか、何で遊ぶか、

明日誰と会うか、ということも本当だったら自ずとわかるはずだよね。

 

ひとつひとつの選択の中にあるそういう真剣さが、

私はすごく、胸が痛いほど好きなのだ。(p.61)

 

 

天気の話、桜の開花、私の好きなあの公園の話…。

なんでもただ話すのが、言葉を口から出して、聞くのが、

ただそれだけでうれしいという日だった。(p.96) 

 

相性って自分との関係、組み合わせということだ。

いい「人」というのが存在するのじゃない。

いい「関係」が存在するのだ。(p.109) 

 

出会いは縁で、なるべくようになっていくと思うので、

どうなったとしても楽しみ。

どうなったとしても、それが私の人生(p.123) 

 

今日はなんだか沈んでいた。

ある人をうらやましく感じて劣等感を覚えたから。

羨んだのだろう。なのでその気持ちをプールで浮かびながら

じっくりと感じることにした。

ある感情は、骨の髄まで感じ尽くしたらやがて消えゆくから。 (p.123)

 

人生は静かな宝探し。

宝を見つけたら密かに歓喜する。

人に知ってもらう必要もない。(p.184)

 

 

 日大アメフト部の監督とコーチの記者会見があった

「この監督たちはきっと最後までしらををきるかもしれないけど、

これをみた世間の人はそれぞれ思うことがあるだろうから、

その思いはきっと何かの形で届くと思う。

そう考えないと救われない」(p.204)

 

 

 小さな場所で起こることも

大きな場所で起こることも、

出来事の仕組みは同じで、その対処法も似ている。(p.225)

 

今までの私は、ある部分は幸せだと思えていたけど、

ある部分は幸せではない、欠けてる、と感じていた。

欠けてる部分(旅仲間とかね)を補いたいと願ってきたけど、

補うという考えではたしていいのか。

 

例えば、朝食で和食を選んだら、

洋食を選んだ人のスクランブルエッグはついてこないように、

もともとなくて完全であるはず。

そういうようになるように生きてきたはず。

 

望んで選んだ結果がそうなのだから、

出てきたものだけを見て判断するのは感情的すぎる。

目の前にあるものの始まり(根っこ)は、

もっとずっとずっと昔にある。(p.247) 

 

この人生で出会えなければ、

出会わない人生を私は選んだのだろうと思う。

私はとにかくしたくないことをしたくない。

「したくないことをしたくない」というのが私の最重要事項。

もっとも最大の望みだ。

人はその人の最大の望みに関しては、

だれもが叶えているはず。そう思う。(p.259) 

 

自分の能力を持ってる人々に憧れて研究してきたが、

自分にない能力は、

そもそも自分に必要のないものなんだなと思うようになった。

自分にあるものを突きつめることの方が効率的で価値があると。(p.275) 

 

「シングルマザー」という言葉について。

実は私は、自分のことをシングルマザーだと思ってない。

自分ではそう呼んでない。

私の語彙にはないというか。

人から言われたら、「はい」と言って、否定はしないけど、

自分の中では、その言葉は存在しない。

結婚して、子供ができて、離婚して、

子供は自分で育ててる。それだけ。(p.308) 

  

 

『土から芽がでて風がそよそよ(つれづれノート㉙)』-お気に入り集め-

 

となりの女性が「雨ですね」と声をかけてくれた。

「私は家の中から見る雨は好きなんです。

海の中にいるみたいで」と答える。

滝の内側にいるみたいに思える。(p.14) 

 

私がなんとなく違和感を覚えること。

これは共感する人は少ないと思うのだが、

「人の幸せを祈る」について。

だれだれの幸せ、家族や、子ども、恋人、人類、世界。

そういうものの幸せを祈ることってよくある。

私も神社なんかでぼんやりとしていると、ついそう願うこともある。

 

でも、人の幸せを祈るって、どうなんだろう。

なんとなくいいことのように聞こえるけど、

よくよく考えると私はそこに実態を感じられない。

「幸せ」ってこと自体が漠然としてるし、

本人の望みは別のところにあるかもしれない。

だれも自分以外の人のことは本当にはわからない。

 

人のなすべきことは、自分の人生を生きることだと思う。

できるだけ、可能性の限り、自分を生きる。

自分のしたいことをする。自分のしたいことは本当にこれか?

…と自問しながら自分の人生を生きる。

 

それが他人を敬い、救う道に通じると私は思ってる。(p.29) 

 

いつも2~3年でパソコンが壊れるので、

これからはパソコンに頼らない暮らしをしたい。(p.69) 

 

そのあとひきつづいて高倉健の「あ・うん」をやっていたので

なんとなく見る。 もの悲しい昔っぽい映画だった。

こういう時代の雰囲気は苦手。

男性が威張っていて

女性もそれに仕えるのが普通と思っていたような時代。

 

でもその時代に生きていたらそういうものだと思うんだろうなあ。

確かに子供の頃はそうだった気がする。

今はずいぶん変わって本当によかった。

私が子どもの頃すごく感じていたのは、女性が虐げられてるような、

のびのびと自分を表現できずに

男性の足もとでじっと息を殺して生きるような雰囲気への苦しさ。

 

あの頃感じた思いが

自由さを希求するバネのひとつになっているのかなあ。(p.114)

 

過去のことをたずねられて時々返事に困るのは、

私が過去の自分の気持ちを完全に忘れているからだろう。

過去の自分は別人のようだ。(p.163) 

 

最初はいるだけで緊張したのに、

今はいるだけで癒される。

それは時間をかけて私にとってそうなる状態を作り上げたからだと思う。

 

ここを 自分の好きな見方で見る(受け止められる)ように

カスタマイズしたから。

 

他の人たちもその人なりのここを体験しているのだろう。

 

それは他のことにも当てはまる。

仕事や人間関係にも。住んでいる家や町、家族、環境、国も。

 

自分なりの価値を見いだして生きる。

そこをどう見るか、どこに価値を置き、どこを見ないでいるか。

 

どこを味わい、どこをスルーするか。

そこから何を受け取るか。(p.169)

 

隣のアメリカ人(最初イタリア人かと思ったけど

アメリカかもと思いなおす )がスカイプでだれかと話してる。

すごくはっきりと聞こえる。

内容はわからないので、

そのいきいきとした会話をBGMに仕事を続ける。(p.190)

 

あー、疲れた。

疲れることのいいとこは、家に帰ってホッとすること。

疲れがとれていく感覚を味わえること。

くたくたに疲れて、そのあと回復していく時、

じわじわとしあわせを感じる。(p.218) 

 

私は今の人生が理想的とは言わないけど、

自分が今まで生きて選択してきた結果がこれなんだから、

これ以外の人生は嫌だなと思う。

それは私の選択じゃないから。

 

この今の状況を肯定的に受け入れて、

これからの人生の選択をこれからも自分でやって、

そこで起きる状況を受け入れていけば、何も文句はない。

 

私は基本的にものごとは悪いようにはならない

(というか、ものごとは自分の選択したこと、

無意識でOKしたこと以外にはならない)

と思っているのでそう思うのかも。

 

だから人のことをパッと見、すごいとかうらやましいとか

思うことはあるけど、本当に本当の本誌では、

人のことはわからないなと思う。人のことは人のことだから。

 

「私は私の道を行く」という言葉。

もう生まれてから死ぬまで、最初から最後まで、

人生はそれに尽きると思う。

 

それしかないと思う。(p.245)

 

そう。生きてることが、それで作品。(p.270) 

 

 ショックを受けた時、ショック!と思って認めれば

次にいけるけど、それを認めないと、

それはそのまま心の奥でパワーを持ったまま

くすぶり続ける感じがするね。(p.279)

 

蛭子能収のゆるゆる人生相談』を共感しながら読む。

自分の好きなことがはっきりしていて迷いがないところが

とても気持ちいい。

 これだけはっきりしてると人は悩みも迷いも、

あまりないんだと思う。

つまり、悩んだり迷ったりしがちな人は、

はっきり見極めていないのだろう。

自分のこと、自分の希望、自分の考えなどを。(p.301)

 

変化は起き続ける。

それにどう向かうかも人それぞれの選択で、

選択は個性の表れだと思う。(p.357) 

 

「お金のため、生活のため」という

ちょっとした気分の盛り上げが生むズレって怖い。 

 

お金がいいからと思うと、

人は好きじゃないことでも平気でできたりする。

「お金がいいから」と自分に言い訳して、

ちょっと盛り立てて。自分らしくないことでも。

 

私もたまにそういう気持ちになりそうになることがある。

でも途中で体が抵抗して嫌になるのだが。

 

でも本質は好きじゃない人は、どんどんズレていってしまう。

ちょっと舞い上がった気持ちでどんどんお金のまわる環境に入り込んで、

出るに出られず、興奮した状態のままずっと

ちょっとずつ自分とズレていく。

 

そういう人は精神が消耗していくだろうなあと思う。

いったん入りこんだら抜け出せない渦の中。

そういうわずった興奮状態に入らせる魔力がお金にはある。(p.367)

 

踊りって本当に神聖だなと思う。

その踊りを見て、さまざまなことが脳裏に浮かんできた。

ひととき異次元に入り込んだような気持ち。

お金を払うショーとかパーティーの余興とか

だれかに頼まれたのでなく、純粋な気持ちでただ踊ってくれる

こういう踊りって、ありそうでめったにない。

本当によかった。(p.380)