月の葉っぱ

夜明けはもうすぐそこに。

『土から芽がでて風がそよそよ(つれづれノート㉙)』-お気に入り集め-

 

となりの女性が「雨ですね」と声をかけてくれた。

「私は家の中から見る雨は好きなんです。

海の中にいるみたいで」と答える。

滝の内側にいるみたいに思える。(p.14) 

 

私がなんとなく違和感を覚えること。

これは共感する人は少ないと思うのだが、

「人の幸せを祈る」について。

だれだれの幸せ、家族や、子ども、恋人、人類、世界。

そういうものの幸せを祈ることってよくある。

私も神社なんかでぼんやりとしていると、ついそう願うこともある。

 

でも、人の幸せを祈るって、どうなんだろう。

なんとなくいいことのように聞こえるけど、

よくよく考えると私はそこに実態を感じられない。

「幸せ」ってこと自体が漠然としてるし、

本人の望みは別のところにあるかもしれない。

だれも自分以外の人のことは本当にはわからない。

 

人のなすべきことは、自分の人生を生きることだと思う。

できるだけ、可能性の限り、自分を生きる。

自分のしたいことをする。自分のしたいことは本当にこれか?

…と自問しながら自分の人生を生きる。

 

それが他人を敬い、救う道に通じると私は思ってる。(p.29) 

 

いつも2~3年でパソコンが壊れるので、

これからはパソコンに頼らない暮らしをしたい。(p.69) 

 

そのあとひきつづいて高倉健の「あ・うん」をやっていたので

なんとなく見る。 もの悲しい昔っぽい映画だった。

こういう時代の雰囲気は苦手。

男性が威張っていて

女性もそれに仕えるのが普通と思っていたような時代。

 

でもその時代に生きていたらそういうものだと思うんだろうなあ。

確かに子供の頃はそうだった気がする。

今はずいぶん変わって本当によかった。

私が子どもの頃すごく感じていたのは、女性が虐げられてるような、

のびのびと自分を表現できずに

男性の足もとでじっと息を殺して生きるような雰囲気への苦しさ。

 

あの頃感じた思いが

自由さを希求するバネのひとつになっているのかなあ。(p.114)

 

過去のことをたずねられて時々返事に困るのは、

私が過去の自分の気持ちを完全に忘れているからだろう。

過去の自分は別人のようだ。(p.163) 

 

最初はいるだけで緊張したのに、

今はいるだけで癒される。

それは時間をかけて私にとってそうなる状態を作り上げたからだと思う。

 

ここを 自分の好きな見方で見る(受け止められる)ように

カスタマイズしたから。

 

他の人たちもその人なりのここを体験しているのだろう。

 

それは他のことにも当てはまる。

仕事や人間関係にも。住んでいる家や町、家族、環境、国も。

 

自分なりの価値を見いだして生きる。

そこをどう見るか、どこに価値を置き、どこを見ないでいるか。

 

どこを味わい、どこをスルーするか。

そこから何を受け取るか。(p.169)

 

隣のアメリカ人(最初イタリア人かと思ったけど

アメリカかもと思いなおす )がスカイプでだれかと話してる。

すごくはっきりと聞こえる。

内容はわからないので、

そのいきいきとした会話をBGMに仕事を続ける。(p.190)

 

あー、疲れた。

疲れることのいいとこは、家に帰ってホッとすること。

疲れがとれていく感覚を味わえること。

くたくたに疲れて、そのあと回復していく時、

じわじわとしあわせを感じる。(p.218) 

 

私は今の人生が理想的とは言わないけど、

自分が今まで生きて選択してきた結果がこれなんだから、

これ以外の人生は嫌だなと思う。

それは私の選択じゃないから。

 

この今の状況を肯定的に受け入れて、

これからの人生の選択をこれからも自分でやって、

そこで起きる状況を受け入れていけば、何も文句はない。

 

私は基本的にものごとは悪いようにはならない

(というか、ものごとは自分の選択したこと、

無意識でOKしたこと以外にはならない)

と思っているのでそう思うのかも。

 

だから人のことをパッと見、すごいとかうらやましいとか

思うことはあるけど、本当に本当の本誌では、

人のことはわからないなと思う。人のことは人のことだから。

 

「私は私の道を行く」という言葉。

もう生まれてから死ぬまで、最初から最後まで、

人生はそれに尽きると思う。

 

それしかないと思う。(p.245)

 

そう。生きてることが、それで作品。(p.270) 

 

 ショックを受けた時、ショック!と思って認めれば

次にいけるけど、それを認めないと、

それはそのまま心の奥でパワーを持ったまま

くすぶり続ける感じがするね。(p.279)

 

蛭子能収のゆるゆる人生相談』を共感しながら読む。

自分の好きなことがはっきりしていて迷いがないところが

とても気持ちいい。

 これだけはっきりしてると人は悩みも迷いも、

あまりないんだと思う。

つまり、悩んだり迷ったりしがちな人は、

はっきり見極めていないのだろう。

自分のこと、自分の希望、自分の考えなどを。(p.301)

 

変化は起き続ける。

それにどう向かうかも人それぞれの選択で、

選択は個性の表れだと思う。(p.357) 

 

「お金のため、生活のため」という

ちょっとした気分の盛り上げが生むズレって怖い。 

 

お金がいいからと思うと、

人は好きじゃないことでも平気でできたりする。

「お金がいいから」と自分に言い訳して、

ちょっと盛り立てて。自分らしくないことでも。

 

私もたまにそういう気持ちになりそうになることがある。

でも途中で体が抵抗して嫌になるのだが。

 

でも本質は好きじゃない人は、どんどんズレていってしまう。

ちょっと舞い上がった気持ちでどんどんお金のまわる環境に入り込んで、

出るに出られず、興奮した状態のままずっと

ちょっとずつ自分とズレていく。

 

そういう人は精神が消耗していくだろうなあと思う。

いったん入りこんだら抜け出せない渦の中。

そういうわずった興奮状態に入らせる魔力がお金にはある。(p.367)

 

踊りって本当に神聖だなと思う。

その踊りを見て、さまざまなことが脳裏に浮かんできた。

ひととき異次元に入り込んだような気持ち。

お金を払うショーとかパーティーの余興とか

だれかに頼まれたのでなく、純粋な気持ちでただ踊ってくれる

こういう踊りって、ありそうでめったにない。

本当によかった。(p.380)