月の葉っぱ

夜明けはもうすぐそこに。

いっしょに

君を一生幸せにする!

 

そんな素敵な言葉がある。

 

でも、最近、

その言葉は本当に素敵なんだろうか、

そう感じている。

 

幸せって自分が感じるものだから、

自分でない相手が、他人が、

自分を幸せにできるのかな?

 

人は、本人でない相手を

幸せにさせることってできるのかな?

 

 

幸せにさせる 、

幸せにする、

幸せになる。

 

どれにもきっと明確な違いがある。

 

幸せにする、も

幸せにさせる、も

どこか少し強引に感じてしまう。

 

いろんなことを知る中で

人は自ら幸せになる力を持っていることに気づけた。

 

 

だから、どうしても

幸せにする、という言葉が

幸せにさせる、という言葉に聞こえてしまう。

 

幸せにさせる、となれば

幸せにされる、となってしまう。

 

もしかしたら、

幸せにさせるということは

傲慢なのかもしれない。

 

相手を幸せにする。

相手を幸せにさせる。

 

もちろん相手を思う気持ちからうまれた言葉だと知っている。

 

でも、人は自ら幸せになれるはずだから

相手から「幸せにする!」「幸せにさせる!」って

決めてもらわなくていいんだと思う。

 

自分が相手を幸せにできるって思ってしまうことは、

何か違う気がする。

 

自分が感じる幸せを、

相手が「幸せでしょ?」って決めてしまっていたら。

 

そして、

幸せにする!といった人が

相手を幸せにしなきゃとがんばりすぎて

疲れてしまっていたり

 

幸せにできなかった、と

責任を感じてしまうことも、

本来あってはいけないんじゃないかな。

 

むしろ、自ら幸せになって

その上で誰かほかの人も一緒に幸せになれたら

もっと幸せと思える。

 

幸せだと感じるのは自分だから、

一緒に幸せになろうっていってもらえる方がうれしい。

 

どちらかが無理をしていてはいけないはず。

 

それぞれが幸せで、

二人一緒になったらもっと幸せ、

今はそれが一番素敵なことなのかな、と思う。

 

幸せにさせる、

幸せにさせてもらう

 

その言葉よりも

いっしょに幸せになろう!

そんな言葉がいいな。

  

 

自ら幸せになって、

それでいて相手も幸せ。

それでこそ二人している意味があるんじゃないかな。

 

幸せは無条件に

たくさん得ても、捨ててしまってもいい

そんな自由なものだと思うから

誰かが、誰か一人が負担を負うことは

きっとおかしい。 

 

そして、

今までかかげてきた「人を~させたい」という目標は

少し、傲慢だったのかもしれないと反省している。

人を笑顔にさせたいっていう目標よりも

いっしょに笑顔になろうという目標の方がいいのかな?と。

 

自分なりに励ましたりしていたことも

もしかしたら相手にとっては不要なことだったのかもしれない。

いま少し、見直すときなのかもしれない。

 

 

 

さて、

少し反省したところで 、

まずは自分が幸せになって、

いっしょに幸せになろうって言ってくれる人を

探しにいこうっと!