文の向こうに人が見えるブログがある。
文の向こうに人が見えないブログがある。
ブログはどれも人が書いている。
だから、どのブログも読むたびに見える人がいる。
でも、人が見えないブログもある。
ブログ体というのかな。
どの人も自分なりの言葉や話し方があるはずなのに、
何かを伝えるためにブログ体を通して、一つの記事を作り上げていく。
ブログ体を意識するために、
自分の思ったままの言葉ではない言葉で作り上げるイメージがある。
もちろん、読み手を意識して読みやすく面白い文をつくりあげることで、
どんな読者にも伝わる文が書ける。それによってきっと人気もでる。
でも、
読み手を意識しすぎるために、その人だけの感じ方が消えて
おもしろく、楽しく、を作り上げようとしすぎて、本人が疲れていたら。
多くの人に読んでもらう、多くの人に読者になってもらう
それを狙うために、全ての人に受けるものを書く
それによって
消えてしまう独自性があると思う。
どんなに読まれるようになっても、
そこに人が見えなかったらいつか限界が来る
そして、無理をしていた自分にも限界が来る。
もし、作り上げたものではなくて
その人独自のものだったなら、
書いている本人に「無理」はこないはず。
たくさんの読者を得ることはできなくても、書きたいものを書けるはず。
この文は自分にとっても戒めの文。
ブログを書いてみることは、
読者を増やすためでもなくて、アクセスを増やすためでもない。
自分の目的を知るということ。
私が読んでいて楽しいブログは、
エンターテインメントのような作られたものではなくて、
その場その場で、その人が感じたことや考えたことを知れるブログ
そういった独自性のあるものを書くためにブログが生まれたと思っているから。
この向こうにはこんな人がいるんだろうな、
こういう考えを持った人が感じていることなんだな、
そんな風に、文の向こうに人が感じられるブログが好き。
何が正解かどれが正解か、まだわからないけれど
もやもやするので書いてしまいました。
少し前に書いた記事とあまりにテイストが違いますが
こういう一面もあるということで。
乱文失礼しました。