「多くのものを 求める先は 周りじゃなくて
自分自身だろう」
GReeeeNの「夢」という歌の一節です。この歌を知ってから、何度も聴くたびにこの言葉だけが耳に響いていました。でも、それは理解できたからではなく、理由なく、耳に残っていました。他の人が聴くと、きっと他の部分が耳に残るのでしょう。では、どうして私はこの言葉を聞き取っていたのだろうとずっと不思議でいました。何度聴いても、ここだけがはっきりと聞こえてきて、その言葉はずっと頭の中にありました。この部分は自分にとって聞くべきところなのか、それとも自分にとってあてはまるからなのかと、聴くたびになんでだろうと思っていました。
不思議だからこそ、知りたかった。よくわからないからこそ、知りたかった。でも、いつまでもわからないからもやもやして、何か言いたいのに言えないと息苦しかった。
何度も聴いてわからないから、あえてはなれておこうと、しばらく聴かずにいました。それでも、「求める先は自分自身だろう」と何度も聴こえてくる。この言葉を理解したい、なぜ自分に響くのかも知りたい。ずっと長い間、頭の片隅に入れていて、あるときふと思い出しました。
…「さぁ話してみて」と先生が話を振ったとき、私は「何ももっていないから何も話すことがない」と言いました。そうすると、
「案外、人にはたくさんのものがつまっているんだよ。探してみて」と返事が返ってきました。…
この一場面だけをふと思い出して、もしかしたらこれかもしれないと思える答えにたどり着きました。今はまだそれが正解かなと思えるだけで、いつかまた違う答えが見えてくるのかもしれません。
「多くのものを」
私にとってこの「もの」とは、答え、ではないかと今、思っています。
多くの答えを求める先は、
周りじゃなくて、自分自身だろう
私はいつも自分で答えを知りたい、と感じています。自分で考えて、自分の答えを見つけ出したいと思っています。その答えは、すでにあるものではなくて、人の口から伝えられるものでもないと思っています。でも、決して見つからない、見たこともないということではなく、自分の奥深くにあって見えなくなってるだけではないかと考えています。その答えを知るために、多くの人に触れ、多くの本に触れる。それによって、何かを思いだし、答えを見つける一歩になると信じ、多くのものに触れようとしています。
もっともっと、根源から「何か」を求めていて、もっと中にある答えを知りたいといつも思っています。だから、人に聞いたり、悩み相談をしたりしても、満たされることはないと思います。人の力も借りるべき時もあるはず。でも、とことん自分に聞いてみたい。とことん自分に聞いて、答えを知りたい。
だからこそ、「自分自身だろう」という言葉がいつまでも心の中に残っていたのだろう、と、今はその言葉が耳に残った理由だけがわかりました。
読んでいただきありがとうございました。