どんなに 貧困や途上国の現状を学んでも
みんなの意識が変わることってないのだろう
みんな安いものを求めるし、
貧困に苦しむ人がいても
ブランドものに身を包む
みんなその時だけ、
この現状を変えていかなくては!
とやる気に満ちているのに、
授業終了のチャイムがなれば、
あっさりと、もとの裕福な生活に戻っていく
試験が終われば、
すべてすっかり忘れて
遊びの世界へ。
学んでからすぐに、
私たちが何かできるってことはないから、
私たちには何ができるかわからないから、
動けないのかもしれない
それでも
貧困に苦しむひとがいるってことを認識する、知らなかったら、知らない間に自分の言葉が人を傷つけているかもしれない
無知の包丁のように
でも認識している、
それだけでいいのだろうか
そもそもの、
みんなの安いものを求める
必要以上のものを求める
ものによって人の価値を見たり
そんな意識がなくなれば、
過酷な労働環境の中で、
ものを作り続ける必要がなくなるのかもしれない
だから、ミニマリストの生活は
見ていて少し怖いけれど、
物を求めない
というその意識はこれから必要になると思う
ものだけではなく、
もっと大きな問題があるのでしょう、
それはもっと知ろうとして
学んでいかなくてはいけない
考え方や、会話
それが産業になっていけば
もう、ものは必要ない
得る時代から、与える時代に、
なってきたのかもしれない
きっとそんな簡単なものじゃないし、
これだとただの夢物語のようだけれど、
今、自分にできることといったら
あらゆる現状を知ろうとして、考えることなのかな、(現場を知らないと考えても意味はないのかもしれないけれど)
自分の無知を知って、
それでいて何もできない自分も知る
いろんなことを学べば学ぶほど
傲慢になることと対極の位置へと進む気がした