月の葉っぱ

夜明けはもうすぐそこに。

授業が終われば日常に戻る

 

どんなに 貧困や途上国の現状を学んでも

みんなの意識が変わることってないのだろう

 

みんな安いものを求めるし、

貧困に苦しむ人がいても

ブランドものに身を包む

 

 

みんなその時だけ、

この現状を変えていかなくては!

とやる気に満ちているのに、

授業終了のチャイムがなれば、

あっさりと、もとの裕福な生活に戻っていく

 

試験が終われば、

すべてすっかり忘れて

遊びの世界へ。

 

学んでからすぐに、

私たちが何かできるってことはないから、

私たちには何ができるかわからないから、

動けないのかもしれない

 

それでも

貧困に苦しむひとがいるってことを認識する、知らなかったら、知らない間に自分の言葉が人を傷つけているかもしれない

 

無知の包丁のように

 

でも認識している、

それだけでいいのだろうか

 

そもそもの、

みんなの安いものを求める

必要以上のものを求める

ものによって人の価値を見たり

そんな意識がなくなれば、

過酷な労働環境の中で、

ものを作り続ける必要がなくなるのかもしれない

 

 

だから、ミニマリストの生活は

見ていて少し怖いけれど、

物を求めない

というその意識はこれから必要になると思う

 

ものだけではなく、

もっと大きな問題があるのでしょう、

それはもっと知ろうとして

学んでいかなくてはいけない

 

考え方や、会話

それが産業になっていけば

もう、ものは必要ない

 

得る時代から、与える時代に、

なってきたのかもしれない

 

 

きっとそんな簡単なものじゃないし、

これだとただの夢物語のようだけれど、

今、自分にできることといったら

あらゆる現状を知ろうとして、考えることなのかな、(現場を知らないと考えても意味はないのかもしれないけれど)

 

 

自分の無知を知って、

それでいて何もできない自分も知る

 

いろんなことを学べば学ぶほど

傲慢になることと対極の位置へと進む気がした