小さな大学生

   言葉にあらわせられるか、あらわせられないか、 そんな感じ。

授業を寝る子が先生になるの?

 

そういや、昨日は何をしていたのだろう。今週出す課題もあるのに、特に昨日は何もしていない。なんとなく一日中ぼんやりしていて、しんどかったような気がする。いつも元気にさせてくれる音楽も、うるさく感じてカバンにしまい、本を開いても読む元気はなく、またカバンにしまった。気分に合っていない、からりとした天気が、より気分を下げていた。

 

今日、昨日学んだことを振り返ってみたけれど、自分のメモが少なくて、いまいちその時の授業の雰囲気を思い出せない。生い立ちが外交に生かされる、それが主な授業内容……まあ、また見直そう。と言っても、来週は中間試験、今週中に理解しないといけないのか。

 

他に受けた授業は経済学。とってもどんよりした授業だった。派遣、過労死、重い空気が教室中にのしかかっていた。自分がこれから向かう社会だけど、前へ進むことをためらいたくなった。でも進まなくてはいけないけれど。先生は最後、考え方自体を変えて、社会を変えていかなくてはいけない、と言って授業を締めくくったけれど、そう簡単には府に落ちなかった。

 

内容もどんよりだったけれど、今日のどんよりしていた気分はいつも隣にいる子が原因だったのかもしれない。その子が原因だと言ってしまうと、自分が自分の感情をコントロールできていないと言っているようなもの。いつかはこの子を気にしなくなる時が来るのかもしれないし、そうしていかなくてはいけない。それでも、この子へのもやもやはいつになったら終わるのだろう。

 

いつも隣にいる子は、いつも寝ている。その子は教職課程を履修している。教師となる環境について、学校が荒れてさえいなければいい、ただ聞いてくれれば、といつも言っている。

 

本当にこの子が先生になるんだろうか。自分が勉強してこなかった科目も、大学の2つ3つだけの授業で教えられる、ということになる。今まで勉強したことのない授業を教えるかもしれない、そんな危機もあるのに真剣に授業を聞こうとしない。そんな少ない授業でさえも寝ている。何をしているのだろう、と思ってしまう。私だったらこんな先生の授業を受けたくないな。子どもは嫌いだといっているし、いつも持論ばかり話して人の話を聞くこともしない。こんな先生、学校は必要としているんだろうか。ほとんどの授業を寝て、なんとか単位を取って、こなすように教職課程を通り過ぎて、先生になっていくんだろうか。自分に知識がなくても教えることになる。きっと教科書を読むだけの先生になるかもしれない。そうなるかもしれない、と危機を感じたら寝ていられないんじゃないかと思ってしまう。それでもいいと思っているのだろう。自分には関係ないと思っているのかもしれない。自分を賢いと思い込んで、人の意見に耳を傾けず、先生にも批判的で、それでいて新しく何かを学んでいるわけではない。何も学ばないのに、いつも万能感を醸し出している。

 

そんな先生を嫌になってその科目を嫌いになる人もいるかもしれない。自分は寝ていたけれど、生徒が寝ていたら怒ったりするかもしれない。そんなのでいいのかな。ただ知識を伝えるだけの先生は必要なのかな。相手の話に耳を傾けようとしない、そんな先生でいいのかな。

 

こんな子ばかりではない、ただ私の近くにいる人が特殊すぎるだけなのだろう。

 

でも、大学の教職課程を知って、こんなふうに単位を取って先生になるのかぁと知った時は少しだけショックだったことは今も覚えている。

 

その子に対して怒っているわけではないけれど、ただその子に対する疑問符の大きさが今日、ピークに達した。

 

 

昨日のことなのに、昨日何をしていたかあまり思い出せない。

そうだ、昨日髪を切りに行ったんだ。どんよりと重苦しい雰囲気が嫌になって、軽くしようと思い立った。帰りの電車からそのまま行って、3センチほど切った。まだ1か月ほどしか経っていないのだけれど。それでも、カットの力は大きかった。とっても体が軽くなって、1日をなんとか少しでも明るく締めくくることができそうだった。そろそろ大雨の季節がやってくるのかな。1度すっきり身の回りを雨で流して、洗ってしまいたい。からっとした空気の中に、すがすがしくいられるように。

 

理容師さんに感謝して、今日を閉める。

明日は明るい1日を過ごそう。

(今、気づいた、明日って明るい日って書くんだ…)

 

 

明日も新しい一日を。

 

 

 

特に何にもないけど、何かある大学生の日常④