月の葉っぱ

夜明けはもうすぐそこに。

もしも

もしも、

はじめてしたことが思った以上にできたとき

何もしなくてもよい方向へ向かっていったとき

 

それは、もしかしたら

自分だけの力じゃなくて

今までの自分の前の人々のおかげなんじゃないかなって

 

今までの人の努力や徳が

ただ、今の私において結果が結ばれただけだったとしたら

自分の結果を傲慢に語るのもおかしいし、

自分の結果をけなすようにして謙虚になりすぎるのもおかしい

 

自分だけの努力の結果!と述べてしまうのも

きっとどこかおかしい

 

もちろん、自分の周りにいる人々のおかげ

と言えることもたくさんある。

 

もしかしたら、

今までの分が積み重なって

その上に自分も積み重ねていくのかな。

 

そう考えたら、

小さな子が自分以上に大きな功績をあげて

「天才!」とほめたたえられているのを見ても

純粋に「すごいな、」と思えるのかも。

 

この子、この人の前である今までの人が

多くの努力とか徳を積んできて

 

それが結果として、

今のこの子にあらわれたのかなって。

 

それは

他の人だけでなく、

自分にも。

 

もしも、

自分にも今までの人の徳や努力があるのなら

必ず、見つけ出さなきゃ。

 

いつかきっと結果を結ぶはずだから、

なるべく早く見つけておきたい

 

 

でも、だからといって

簡単に失われるものではきっとない、

だから

焦る必要もないはず。

 

 

見つけて、そこにさらに

自分なりの努力を重ねてみたら、

結果は結ばれる、

きっとそう。

 

 

もしも、

今の自分を褒めてもらえたら

今までの人に感謝しながら

静かに「ありがとう」と言えるようになろう

 

もしかして、

つながっているのかも、

 

神社に行って、

ふとそんなことを思ったのでした。

 

つよくあろう

歌詞がそのままの言葉であったとき

 

音がなくて読めたとき

 

それはどんなふうな言葉になるんだろう

どんな音が聞こえるんだろう

 

静けさという音楽が音を刻むんだろうか

 

 

文字の色の音

目から見えたときの音

 

文字から見える音

文字から聞こえる音

 

 

歌詞がそのままの言葉であったとき

自分はどんなリズムをつけただろう

 

どんなリズムをつけたがったのだろう

 

どんなに人と話していても

どこか孤独で

 

どんなに家族と話していても

やっぱりどこか孤独

 

明るくいこうよ、なんて

過去の自分の言葉に救われる

 

もう私は強くなれたんだ!

そう、思っていたのに

 

たった一言、

その言葉に耐えられない自分がいる。

 

今の自分に必要な言葉がないかと

さがして さがして さがしても、

つかれきってしまってぐったりしてしまう

 

本当にしんどいときは

ことばなんていらないのかもしれない

 

でも

 

だれかが、だれかの一言さえあれば

冷えついて疲れ切った心を癒すのかもしれない

 

どこかに答えが

どこかに、自分を救う言葉がないか

 

それはもう

心の底から

心の奥底から、

ずっと探し続けている

 

これ以上動きたくないと

これ以上何もしたくないと思ってしまっても

 

大きく大きく光る月

神々しく光り続ける月をみて

 

もっと、もっと強くなろう

もっともっと強くあろう

 

そう決めた。

 

自ら元気になれるように

自ら明るくなれるように、

 

そう 強くなろう

そう 強くあろう

 

これが私の2018年の抱負

よし、がんばろう。

 

今週のお題「2018年の抱負」

2017ねん!

 

直接口で伝えることがむずしいことも

文字でなら伝えてみたいと思うようになった2017ねん

 

そして、何かを狙おうとしたとき、

その言葉からは純粋さが奪われると知り、

言葉選びを自然とするようになった2017ねん

 

 ていねいさを怠ると、

言葉にとげがつくことにも気づいた

 

そして何より、

表面的な言葉以上にやさしくてあたたかい言葉を

かけてくれる人がいると知ったこと

 

胸の内で抱えるもやもやした思いを

誰かが聞いてくれて、

そしてさらにあたたかい言葉までかけてもらえる

 

心のこもった記事から

これからにつながる気づきをもらったり

 

心のこもったコメントから

言葉でいいようのないあたたかさに触れて

救われた気分になったり。

 

 

詩でも文でもないこの自己満足なブログに

スターやコメント、ブックマークまでしてくれる優しさ。

 

 

顔が直接見えないからこそ

その人の内に語りかけているような、

そんな、不思議な気分でいられたのがここでした

 

 

もやもやを出す場所がある、

読んでくれる人がいる、

コメントをくれる人がいると安心しているからか

身の回りの雰囲気が良い方にと日々変わってきました

 

 

1度ここに書いたら次に行ける気がして

毎日新しい!と感じられるようになりました

 

 

この場所が私の2017年を支えてくれていたようです。

 

もうブログを閉じてしまって

ここにいない方もたくさんおられますが

スターやコメント、本当にありがとうございました。

 

そして何より、ブログということで

 

色んな人が何かを抱えて

何かを思っているんだなと

 

考えていることをのぞいてみる

そんな楽しみがたくさんありました

 

それを知れること、知れたこと

誰かが思ったことや考えたことを知れる楽しさ

 

これを書くのに苦しかったんじゃないかなと

苦しさや自分と向き合う人がここにはたくさんいたんだと

 

みなさまの中にはとっても素敵な世界が広がっているんだ、ということを知りました

 

誰しもが抱える思いは

どんなことよりも純粋できれいで1つしかない宝物

 たくさんの記事に触れてきて、そう感じています。

 

 

その思いを捨ててしまわないように

外に発信して、「思いを伝える」練習をしていこうと思います。

 

書いてしまうとありきたりな文になってしまいましたが

読んでくれたみなさまに心からのありがとうを!

 

たくさんのすてきな記事、

たくさんのすてきなコメントに出会えました。

 

頂いたコメントはどれも大切なプレゼントです!

 

スカイさん(id:su-ka-i)

くらーい、自暴自棄のような記事の頃から、記事を書くたびにコメントを、素敵なコメントを何度もありがとうございました。コメントを頂くたびに何度救われたことか。未承認のままのコメントは今でも私だけの宝物です(*´ー`*)本当にありがとうございました!これからもよろしくお願いします♪

 

*私のお気に入りの記事*

su-ka-i.hatenadiary.jp

 

 

あーやさん(id:Ayako28)

いつも見てくれて、そして、心温まるコメントをありがとうございました!あーやさんは私の心の中の微妙な変化にも気づいているような感じでした…それがとても嬉しかった!

あーやさんの壮大な賢さに裏付けられた明るさが大好きですよ!いつも元気付けられています。読む人を元気にさせる素敵なあーやさん、来年はもっともっとあーやさんのために生きてくださいね!(余計なお世話かも…すみません…)

 

*私のお気に入りの記事*

jp-ayakolife.hatenablog.com

 

myomyo3さん(id:myomyo3)

もうブログを閉じてしまったようで見ることも話しかけることもできませんが、いつも丁寧なコメントをありがとうございました!気遣いとやさしさにあふれたコメント、今でも時折読み返して救われています。

 

上の小枝の怠け者さん(id:uenokoeda)

いつも私のようなコメントに、ユーモアたっぷりのお返事をありがとうございます!何度笑わせて頂いたことか!小枝さんのブログ紹介のおかげで一気に読者さんが増えたので感謝でいっぱいです。そして芸術って気づきを与えてくれたことも!つたないコメントでもいつも最大のコメントを返してくれます。ぜひ訪れてコメントしてみてください。小枝さんの負担になるかも…すみません…。

uenokoeda.hatenablog.com

 

 みずたまなおさん(id:nao_mizutama)

私の理解が及ばずに、的外れなコメントをしたことが多いかと思います。無理せずに、なんてありきたりなコメントをして、「やっちゃった!」って後悔したことが何度かあります。一方で、私はみずたまさんからとても優しくて素敵なコメントをたくさんいただきました。本当にありがとうございます。「断はてな!」を投稿したときの「戻ってきてくれてよかったです」という言葉がとっても嬉しかった!!そして、まさか私の記事でこんなにも素敵な記事が仕上がるなんて…感動でした。最後の「今日を、いま、このときを生きろ。」が今でも心に刺さっています。いつもありがとうございます(*´ー`*)

 

www.nao-mizutama.com

 

とりとりさん(id:ta87523)

まだまだはじめましてのつながりですが、たくさんのスターやブックマーク、ブックマークのコメントをありがとうございました。ほとんどの記事を読んでくれたようで本当に嬉しかったです!ずいぶん前の記事もブックマークしてくれたようで本当に嬉しかった!書き直さなきゃと焦る反面、読んでくれたんだ!と嬉しくて…

 

*私のお気に入り記事*

www.toritori.top

 

 

みなさまに感謝の言葉を述べていたらなんだかとても幸せな気分になってきました。 

では、ここらへんで!

 

たくさんの気づきがあって、

たくさんの表現に触れて

飛躍の年になりました!

 

悔いなき2017年をどうもありがとうございました!

私はとっても幸せです(*´0`*)!

 

心からのありがとうを!

そしてみなさまへ心からの祝福を!

 

よいお年を!

えがおミュージアム

 

本当に出会えて嬉しい笑顔は

「絵顔」になると思う

 

絵になるような

絵にのこしておきたいような

 

その笑顔を絵にしたとき

またそれをみて元気になれるような。

 

自分の頭の中に

心の中に

その絵を、そっと入れておく

 

いつしかしんどくなったときに

その絵を見て心がいやされるように。

 

そんな、笑顔の絵がたくさん増えたとき、

頭の中の笑顔美術館は、たくさんの絵顔であふれる

 

街中で友達と笑い合う楽しそうな笑顔

家族といるときの安心した人々の笑顔

恋人同士がお互いに向けあう笑顔

小さな子がお母さんに向ける笑顔

お父さんと笑い合う小さな子の笑顔

 

街中には絵顔がたくさんあふれている。

 

素敵な絵顔に出会いたい、

だから今日も明日も外に出る

 

今日も明日も素敵な笑顔を見つけに行く

 

街中で

友達との会話の中で

新しい人と話す中で、

 

たくさんの絵顔を見つけて

たくさんの絵顔を自分の中に。

 

 

今日もすてきな笑顔に出会える幸せを。

今日もたくさんの笑顔に触れられた幸せを。

 

明日もたくさんの絵顔を探しに出かけよう!

 読んでいただきありがとうございました!

いつもありがとうございます(*´ー`*)

 

 

言の葉メッセージ

何かを伝えたいと思ったときに

あの人に送りたい、と思える人がいることに幸せを。

 

使い古した言の葉

パリパリになってしまった枯れ葉を送るのではなく

青々と若々しくやわらかい青葉を送りたい

 

その葉っぱに、

もっとたくさんの思いをのせたかったら

そこに水をかけて水滴をまとわせる

 

そして、太陽の光りにあてて

水滴にきらめきをつけて送る

 

光を通さない葉ではなく

その葉から太陽の光がこぼれるくらいの言の葉がいい

 

光がとおらないほど分厚い葉っぱだと、

重たくて、相手に思う余地も考える余地もあたえないから

 

 

自分のことばで伝えることに慣れていない間は

青葉を送ることはできないかもしれない

 

でも、雑草といわれるような

草でもいいんじゃないかなって

 

そこを通して見える光は

直接見える光よりも、うすい緑を羽織っていて

やわらかくてきれいだ

 

直接光を送るのは

相手の目を傷つけてしまうから、

 

自分が選んだ葉っぱに自分の想いをのせて

それから光を与える

そうしてやわらかい光にしていく。

 

そんな、光と葉っぱを送りたい人に送れたらいいな

 

そこに水滴があって輝きもあれば

それはきっと自分ができる相手へのプレゼント

 

そのプレゼントなら、

相手にもちゃんと、伝わるんだと思う

 

たとえ相手に伝わらなくても

そんな、自分なりの葉っぱを用意して人へ送ることができたなら

自分の心は十分幸せになれるはず。

 

もしも、誰かから、枯れ葉をたくさん渡されたとしても、

私はいつまでも青々とした葉っぱをわたせるようになりたい

 

すでにある言葉でも

自分の想いをのせて組み合わせれば

自分の言葉になる。

 

自分だけの葉っぱ

自分の中にそだっている葉っぱ

 

枯れさせないように

いつも見ていよう

 

いろんな人、いろんな本からもらった水、

きれいな水で育てるように大切にして。

 

木の周りに落ちた枯れ葉を

気づかぬうちに誰かに渡してしまわないように、

気づいたときに取り除いておこう

 

自分の思いを、

自分の葉っぱを、

大切に育てる。

 

いつか渡したい人にちゃんと渡せるように。

 

 

ずいぶん前の私の葉っぱです。

 

atamatokokoro.hatenablog.com

 

読んで頂きありがとうございました!

そう、だから書こう

初めの頃とは目的が違うけれど、

今は幸せになりたいから書こうと思う。

 

だから、投稿できた日は、

私自身が書いていて幸せな気分だった!

という日になったらいいな

 

少し前までは、

苦しかったことを書いてスッキリしよう、

なんておもっていたけれど、

 

自分にとっても読む人にとっても

それがどんな意味を持つか考えたら

 

幸せを書く方がきっといいな、

と思いました。

 

いろんな人に書く意味がある

 

過去の苦しみを表現して、

今苦しむ人に手を差し伸べる人

発想の転換を提案して、だれかを救う人

持ち前の表現力で日常を語る人

読むだけでくすっとさせる

エンターテイナーの人

暮らしのヒントを惜しみなく与えていく人

 

みなさんの書く意味を私なりに

受け取ってみてわかったこと、

 

それは、

心の底から何かを伝えようとしている、

ということ。

 

じゃあ、私は何を伝えたいのか考えたとき、

自分の見つけた小さな幸せを書きたい!

と心から感じた。

 

だから、

小さな幸せを書こうと思う

小さな幸せを伝えようと思う

 

どんなに小さくても大きくても

読んだらほんの少し幸せになれる幸せを

伝えていけたらいいな。

 

幸せを書いて、描ける人になりたいな。

 

苦しさに向き合ったり、

その努力だったり、

それらを踏み台にして得た幸せをつかんで

花、咲かせていきたい。

 

苦しさを書こうとしていた何日間かで

どうしても手が動かないことを知った。

 

だから、私はそれを書かないことにした。

私は幸せになりたいから、

だから、「幸せ」を書くことにした

 

*関連記事かも?* 

atamatokokoro.hatenablog.com

 

 

書きたいから書くというなら、

やっぱりそれは楽しいこと、

幸せなんじゃないかなって再確認

 

つい考えすぎて

頭の中が真っ暗になりやすいから、

頭の中に花を咲かせようと思う。

たくさんたくさん。

 

幸せだって思いながら

書くことを楽しめたらいいな。

 

そうやって続けていって

桜色のような空気に

つつまれるようになったらいいなって思う。

 

 

私が書く小さな幸せは、

私にとっての幸せなので

他の人が読んでピンとこない幸せも

多いかもしれない

 

だけど、

こんなことでも幸せになる人がいるんだと

知って、心が軽くなったなら、

また私にとっての幸せが増える。

 

今日、良いことなかったって人が、

私が晴れてる!幸せ!

と言っているのを聞いて

くすって笑ってくれたらいいな

 

小さな幸せがカップいっぱいになって

あふれるくらい、

一日にカップ一杯分の幸せを。

 

まずは小さなカップから

一杯分たまるくらいに。

いつかは大きなカップが

満タンになるくらいに。

でも、小さなカップの頃も忘れずに。

 

そうやって毎日見つけていけたらいいな。

 

幸せな人がここにいるって知れたら

ほんのすこーしでも周りが良いように見えてきませんか(*´ー`*)?

 

これからも、

小さな大学生が見つけた小さな幸せ通信。

お暇なときに見ていただけたら嬉しいです。

 

真冬の白い中に
桜の花びらひとつ

そんなふうになりたい。

 

ということで、

今日は、私がブログを書く意味を見つけた

幸せ通信でした。

 

 今年中にブログの意味の再確認すること。

それが、今週のお題「今年中にやっておきたいこと」。

 

 

 今日も良い一日を!

心の水、

心の水

 

心の中にある水を、

いつまでも澄んだ状態にしておきたい。

 

どんなときも

きれいな水を自分の中にためておいたら、

 

いつか自分が枯れてしまうくらいつらくなった時に

自分に注ぐことができる。

 

そしていつか、枯れてしまうくらい

疲れ切ってしまった人にも注げるくらいたくさん

透明でやわらかい水をたくさん、自分の中にもっていたい

 

そんな風に、

とうめいで澄んだ水をもっていたら、

 

きっと、その透明な水が目を覆ってくれるのかもしれない

そうしたら、目に煌めきがもどってきて、

澄んだ目で外の世界を見ることができる

 

 

その、透明の目のままで

誰かを見ていたら

きっと、フィルターを通してみることもない

 

何かうたがってかかることもない

 

もしも、にごった目で誰かを見てしまっていたなら

何かを思って、何かを発してしまったなら

 

目の向こうにいる人の心を傷つけてしまうかもしれない

 

そんなことにならないように、

いつまでも、とうめいな水にしておかないと。

 

とうめいな水でいたら、声もきっと透き通る

 

自分の発する声に、何のにごりもなかったら、

自分も、相手も、きっと心地いい。

 

笑い声も、純粋で透き通った声がいいな。

 

人を下にみるような、

あざけるような、

自分を卑下するような、

そんな笑い声は、笑い声であっても聞きたくない

 

もっと自由で透き通った声、

そこに何にも意味がついていない、純粋な笑い声。

 

 あふれでるとうめいな水は、

誰にも、何の思惑ももたせない

 

 そんな心でありたい。

 

 

でも

 

いつまでもとうめいの心でありたいのに

とうめいの心でいることは本当に難しい

 

とうめいを守ろうとしても、

いつしか「よく思われたい」、なんて思った瞬間に

墨汁が一滴たらされて

心の水は、うすい灰色の水になっていく

 

何かに対してむっとする

そんなことを繰り返していたら

ますますにごっていってしまう

 

じゃあ、 

1人静かにいれば、とうめいでいられるの?

 

いや、

必ずしもそうじゃない。

誰かと一緒にいることで浄化されることもあるから。

 

心の水をとうめいにできる、 

そんな人に出会えたこと に幸せを感じながら、

自分もそんな人になれたらいいな、と願う。

 

澄んだ心をもちつづけて、

守りつづけていきたい。

 

そうしていたら、

そのとうめいな心はいつしか文にもあらわれるはず。

そんな、

みえるようでみえない、とうめいな文が書けたらいいな。

 

 

これをみてくれた人にも

自分のためにも。