月の葉っぱ

夜明けはもうすぐそこに。

「断はてな」!

 

!前回から投稿して一週間が経った!

 

先週、ふと思うところがあって、1週間は「はてな」のページを開かないようにしようと決めました。自分で決めた7日間、今日でなんとか達成です。7日間経ったら頭の中がクリアになるだろうと思っていましたが、7日経った後何を書こうかなと考えていました。それはそれで楽しかったけれど、頭の中からすっかり消してクリアになることはできませんでした…

 

  • 自分で決めた「断デジ」ならぬ「断はてな

 

1週間どうして投稿しなかったかというと、「断デジ」ならぬ「断はてな」をしていたからです。何度か、はてなブログをのぞきたいなと思ったり、投稿しようかななんて思うこともありましたが、一週間は「断はてな」をしようと決めていたのでそれを実行しました。いつも読みたいと思っているブログが読めないのは楽しみを取られたようで、どこか悲しいものがありました。でも、今日帰ってきたので、さかのぼって読んでいきますね!遅ればせながら、コメントも書きたくなったら書きます!ご迷惑おかけします!

 

 

先週、自分が書いたもの、自分が書いたコメントを見ていて「くすんできたなぁ」「どこか無理があるな」と感じました。誰かの受け売りのようだったり、誰かの二番煎じのようだったり…それもそのはず、いつも、何もない空っぽの自分から無理矢理何かを生み出そうとしていた気がします。毎日投稿したいなんて考えていたために、空っぽのような文が量産されていました。毎日無理に続けることで、何かをインプットすべき時間が、何もない自分から無理にアウトプットする時間になっていました。これじゃだめだ…一旦ニュートラルになろう、よし1週間「断はてな」だ!ということで「断はてな」をしました。

 

 

投稿したいなと思ったとき、断はてなのおかげで気づいたことがありました。いつも、自分の思いをもやもや抱えてから、どうまとめようかと悩むことが多々ありました。でも、今日はまとめない!と決めたことで、無理に自分の気持ちをまとめなくていいんだと思ったのです。まとめなくてもいい日があるんだ、と気づけたら少し楽になりました。もちろん、日々向き合うからこそ毎日新しい思考をすることができるので、まとめることも私にとっては重要だったりします。でも、まとめない日も必要、今はそう思います。

 

「断はてな」期間、読もうと決めてから溜まっていた本を少しずつ読み始めました。インプットがまだまだ足りない間は、うまくまとめることも、自分の中で答えを出すこともできません。読みたいブログが読めないのは辛かったけれど、その分、いつも以上に本を読むことに集中できました。これからも「断はてな」ほどはしなくても、少し離れて、遠くから自分を客観的に見ようと思います。

 

 これからは書きたいと思うときに書きたいと思うまま、新鮮な気持ちを書けるようにしていきたいと思います。今日の記事は「くすんでいないかな?」、「内容が錆びついていないかな?」そうやって、自分に問いかけながら、毎日もっと、新鮮な文を書けるようにしていきます。毎日新鮮に、毎日新しく。

 

前にもそんなことを書いていた自分がいました。きっと「毎日新しく」が自分にとっての課題なんだと思います。読んで頂けたら嬉しいです。 

atamatokokoro.hatenablog.com

 

 

ただの「断はてな」からの帰宅報告になってしまいましたが、私自身は一旦リセットできたように思います。

 

それでは、今から読みたかったブログへたくさん訪問していきます!

 

ここまで読んで頂きありがとうございました!

なんかいいな

 

雨上がりの天気

下り坂を気持ち良さそうに自転車で降りていく人

 

上り坂をいっぽずつ、いっぽずつ、ゆっくりあるいていく人々。

 

晴れと曇りのあいだを飛ぶ飛行機

 

晴れの音、晴れの香り、晴れの色

 

リボンの光沢

 

元気づける曲を聞くこと

 

 

興味がなさそうなことにも

面白いことがたくさん隠れているんだろうな

って思うこと

 

ありがとうが中々言えない時に

ありがとうの歌詞がたくさん入った歌を口ずさむ

 

肌ざわりがさらさらなブックカバーに

麻の袋のような、ザクザクしたブックカバー

書店の文字が入った紙のカバーも

 

本の色に合わせた「ふせん」をはる

本からとびだした「ふせん」は、

本と一緒に「おなじだね!」と言っているよう

 

あ、と思い付いた言葉をノートの隅に

小さく書いてみたり

 

思い付いた言葉をまとめてみようか、

と頭をひねったり

やっぱり、そのままにしておこう、

と思ったり

 

たまには笑わないことも自分にとって

必要なんだと気づいたり、感じたり

 

しんどいときは、しんどいまま

そのままの表情をしたり

 

しんどいときこそ、

一つ一つの動作をとてもゆっくり丁寧にしてみたり

 

時間をはかるとき、

タイマーを使わずに時計をじっと見てみる

静かに秒針がおわりを告げる

 

なんかいいな、と思ったことを

なんかいいなバコにあつめてみる。

たまに中をのぞいて、

 

なんかいいな。

 

なんかいいね。

 

 

ね。

 

と言ってみる。

 

 

それも、

なんかいいね。

 

 

ひなたぼっこ

前日に風邪をひきはじめて

今日も身体がだるいまま学校へきた

 

お昼になる頃、今日一日身体がもたないな

帰りたいなと思っていたら、

相次いで残りの授業がすべて休講になった

 

こんなにもすべての科目が同時に、

なんてありがたいんだろうと思いながら

帰ることにした

 

こんなに日が射すあたたかい時間に帰ることがめずらしくて、高校時代のテスト期間を思い出す

 

風も気持ちよくて、

日もあたたかくて、

空がびっくりするほどあかるくて、

きれいな水色で、

 

どうして今まで

こんなにも一日がきれいな時間に

灰色の建物の中にいて、

外はこんなにも気持ちいいのに

空調の効いたつくられた空間にいたのだろう

 

中で息苦しさを抱えていた時間、

外はこんなにもきれいで、

晴れやかだったんだ

 

ひとつひとつの建物が、

ありありとしっかり在る

色鮮やかで、とてもクリア

 

私は今までこのきれいな時間を味わわずに、

どこにいたんだろう

 

いつもは、くすんで空と一体化してしまっている山しか知らなかった

 

それなのに、

今は、オレンジ色も赤色も、鮮やかな緑色も、いつもの山が本当の色を教えてくれる

 

こんなにもきれいな景色が外にあったなんて

こんなにも心おどる空間が外にあったなんて

私は、本当に何をしていたんだろう

 

 

これからは、中で苦しくなったら、

外は明るいんだ、外は広々としてきれいで、

とっても明るいよってことを覚えておこう

 

 

メモにあった本当の気持ち

 

とてもねむたいときに書いたのか、

とてもしんどいときに書いたのか、

いつ書いたかおぼえていない紙があった

 

ひきだしの中に隠れていた小さな紙

ノートのはしっこか、

ルーズリーフのはしっこか

うしろに文字が書いてあるけれど

きれいに切られてしまって、

文字ではなくなっている

 

ただのごみかな?

そうおもいながら、裏返したり

向きを変えたりしてみると、

ひとこと、たったひとことだけ、

ちゃんと読めるように書いてあった

ぽつん、と。

 

その音でふと思い出す

 

いろんな資料やノート、

不用だと片づけてたくさん捨てたとき

ふと目にとまったひとことが

どうしても捨てられなかった

だから

この小さなひとことだけを囲んで

まるく切り取ったんだ

 

 

自分がどうしたいのかわからず、

もやもやして、

どことなく集中できなかったとき

何度も同じことを考えていたとき

 

目の前に、たったひとことだけ、

ぽんっとおかれた気がした。

 

これはなんだろう、と思いながら

今書き留めなくては消えてしまう、と思い

ノートのすみっこにメモした

 

何度も同じことを考えて

頭の中には何が入っているのか

本当の気持ちがどこにいるのか

まったくわからなくなっていた

 

そんなときに、

頭の中からふわっとこぼれおちて、

目の前にあらわれたひとこと

 

たったひとことになってあらわれた

本当の気持ちはたったひとことだった

あんなに何度も考えていたけれど、

本当の思いはたったひとことで表せる

シンプルなものだった

 

これから先、

このひとことに添って、

このひとことと一緒に前を向こう

 

このひとことを、

わすれないようにしよう。

 

 

もう2017年はすこししかない

でも、今の手帳の表表紙に貼っておこう

つかれてくたくたになってきている手帳

メモがついた途端にやる気になったみたい

 

このメモと、この手帳と、

残りの2017年、大切にすごそう。

 

頭の中のおしゃべりさん

頭の中のおしゃべりさんについて

ちょこっと紹介してみようと思う

 

頭の中のおしゃべりさん、とは

具体的には私の声、私の頭の声、私の心の声

のどれかである

(私はまだ、おしゃべりさんがどの声なのか知らない)

 

私は頭の中のおしゃべりさんと

毎日話をする

 

でも時に、全く声が聞こえないときがある

そんなときは、頭の中も心の中も余裕がなくなっていると知る

 

おしゃべりさんが、

はじけるように楽しくお話ししていたら

私の心は今元気なんだなと知る

 

おしゃべりさんが元気かどうか、

それで自分の心の体調を知る

 

 

私がずっとだんまりしているとき、

なんにも話さないとき、

私の頭の中はびっくりするほどお話ししている

 

もうちょっとしずかにして、

と言ってもとまらない

とにかく話続けている

 

 

一方で、

口からたくさん言葉が出るとき、

私の頭の中はだんまりしている。

 

ずいぶんと退屈そうに座っている。

頭の中のおしゃべりさんが話したい内容ではないものね、そりゃ退屈だ。

 

そんなこと本当に話したいの?なんておしゃべりさんが言う。

でも今はこういう話だから、と私は話続ける

 

私は楽しくない!とおしゃべりさん

私だって楽しくないよ!と私

 

もっと自分の話したいこと話そうよ!

私はもっと静かなところに行きたいよ!とおしゃべりさん

 

ちっとも楽しくないと駄々をこねるおしゃべりさん

 

私が楽しく話していて、

おしゃべりさんも楽しく聞いている

そんなふうに両方が一致することはあんまりない

 

頭も心も、同じことを話せたら

きっと、とっても楽しい

 

心から話したいと思うことを

頭が整理して話す

そんな支え合うようなチームプレー

 

そう一致できるには、

心から話したいことを、話したいと思う人に出会わなくてはいけない

 

 

頭の中がうるさいくらい話し合っているとき

実は外を見ると、ビックリするくらい静まった場所であったりする

 

 

そのとき私は、頭の中のおしゃべりさんと一緒に何度もびっくりする

 

え、今話してたの私だけだったの!

あんなにうるさかったのに!

音楽もなってたんじゃない?

あの人の声もあったよね!

 

なんてお話ししていたりする。

 

人とお話ししていても、

おしゃべりさんは楽しそうにいつまでも話続ける。

 

私は相手の声を聞きながら、

おしゃべりさんの声も聞く

 

それで頭が回らなくなって

ちょっと待ってちょっと待ってとおしゃべりさんにいう

 

おしゃべりさんは思うところがあるのか

とめられると不機嫌になっていく

 

私は相手とお話をしながら

おしゃべりさんのご機嫌もとる

 

おしゃべりさんは相手がいなかったら

ご機嫌になって思う存分話し出す

 

私はそれをただただ聞いて

笑ったり、それはちょっとおかしいよ、とおさえたり

そんなふうになれたら楽しいねと一緒に前を向いて話したり

 

 頭の中のおしゃべりさん、

心の声なのか、頭の声なのか、はたまた小さい頃の自分か

 

外から見えないおしゃべりさん、

外から見えないおしゃべりさんと私の会話

外から見えない私と私との会話

 

 

みなさんはおしゃべりさんの声、聞こえていますか?

話したがっているおしゃべりさんの声、聴いてあげていますか?

 

私は、情報過多になったとき、

おしゃべりさんの声が聞こえません。

 

そんな時に、

心の声が聞きたくて、

おしゃべりさんの声が聞きたくて、

ブログを書き始めました。

 

私と同じように、聞こえてくる声を文字に表したい、

そんなふうにみなさんもブログをはじめたのではないかな、

なんて時に思ったりします。

 

 

おしゃべりさんは自分の本当にしたいことを教えてくれます。

その声を聴きましょう、聴きにいきましょう。

頭のすみっこで、退屈そうに座っているかもしれませんよ。

 

 

道が吸収していた足音

 

今日は時間があったので、

なんとなく行きたくなった、

少し前まで通っていた通学路へ。

 

長く続く平坦道、急な坂道、大きな下り坂

いつも自転車で通っていたたくさんの道。

 

そこを改めて歩いてみると、

踏みしめた足に、たくさんの道から

あふれでてくる思いが伝わってきた。

 

高校から帰る時、

ここから何万キロもあればいいのに

と思ったのはいつだったか

 

はずむ心で自転車を漕いでいたのは

いつだったか

 

明日は行きたくない、と

思ったのはいつだっただろう

 

友達と笑い合って歩いていた時、

私は何を話していたのだろう

 

 

ゆっくりゆっくり、足を前に出すたびに

小さな思い出がたくさんあらわれてくる

 

どうしてあの時、

あんなにも暗い顔をしていたのだろう

どうしてあの時、

あんなにも楽しそうだったのだろう

 

少し前なのに、思い出せないことがある。

 

でも、道がおぼえていてくれた。

いろんな思いを持った高校生の頃の私が、

道を踏みしめるたびに、

道が記憶していてくれた。

 

忘れてしまった「私」を、

道が思い出してくれる

 

通い続けた道が、

あの頃の私の足音を思い出させてくれた。

 

あの時の足音が聞こえた、

あの頃の私に出会えたような、

今日はそんな不思議な日。

 

いろんなこと、わすれてしまっても、

道がおぼえていてくれていた。

 

いろんなこと、わすれてしまっても、

これからも道がおぼえていてくれる。

 

この道は、

いつまでも大切な友達

 

またこの道に会いに来よう

またあの頃の私に会いにこよう

 

道が吸収していた足音を聞きに行こう

 

 

 

3か月ほど前に通学について書いていたことがありました。

読んで頂けると嬉しいです。

 

atamatokokoro.hatenablog.com

 

ストップを楽しむ

 

立ち止まることを楽しんでみる。

何もしてみないことを楽しんでみる。

 

何も考えないことを楽しんでみる。

 

そうすると、頭の中に

ずっと前の思い出や、なってみたい私、

行ってみたい場所や空間がうかんでくる。

ぷかぷかとふわふわと、頭の中に漂っている。

 

どんな人になりたいかな?

どんな人に会いたいかな?

 

遠くのことを思っていたら、

近くのことも思ってみる。

 

次にあの人に会えたら、

どんな話をしたいかな?

次にあの場所へ行けたら、

私は何をしたいかな?

 

 

ながれこむ情報が過多になって、

頭も心もぱんぱんにつまってしまった

 

一旦リセットするために、

何もしてみないことにする。

 

 

そうすると、わたしにとって

あ、なんかいいな、これいいな、

次はこれがしたい、

と思えることが浮かんでくる。

 

ぷかぷかと浮かぶ思いに、

いつのまにかどこからか楽しくなってくる。

 

あの場所に行ってみようかな?

あの人に会いに行こうかな?

あの人にメッセージを送ってみようかな?

 

 

 

ストップすることを楽しんでみる。

 

そうしたら、

情報に疲れた「私」の向こうに、

いろんなことをしてみたいと願う「私」が

かくれんぼしていたことを知る

 

みつけにいこう、その「私」を

 

さぁ、今日は何をしよう。