月の葉っぱ

夜明けはもうすぐそこに。

また明日ね。

過保護のカホコ

また明日ってこんなに素敵な言葉だったんだね

というセリフがあった気がする

 

 

また明日ね!

小学生の頃も、中学生の頃も、高校生の頃も、

たくさん言っていた

 

毎日会うとわかっていても、

また次の日の朝会えると思うと嬉しくて、

また明日ねって大きく手を振っていた

 

 

でも、今はどうかな?

また明日って言ってたかな。

言ったとしても「じゃあまた」くらいかも

 

じゃあまた、

この言葉だと

大切な意味が込められた「明日」が入っていない

 

 じゃあまた、

その言葉ではなく、

また明日!また明日ね!

その言葉が聞きたい。

 

そして、また明日ね!

と言いたいと思える人に、出会いたい

 

 

 また会いたいと思う人に会えるように、

また会いたいと思われるような人になろう。

 

そして、

また読みたいと思う本に出会いたい。

また行きたいと思う場所に出会いたい。

 

 

 

 また明日ね!と言える友達が増えたなら、

もっと日々に花が咲く

 

また明日ねと言えるようになろう

また明日ねって言ってもらえるような友達になろう

 

 

そして、

また読みたい、また明日、と

思ってもらえるようなブログになれたらな

 

 

では、今日、

読んでくれてありがとうございます。

 

 

また明日!

 

 

 

雨と車の色

今日は雨。

いつもよりいろんな色の車がたくさんあらわれる。

 

おいしそうなレモン色

ライムの色だったり

森のような緑色

プチトマトのような真っ赤な色

 

あれはカフェオレの色だ!

あれは白に水色が入っているのかな?

 

たくさんの車の色集めをして、

私はどんな色の車が欲しいのかな、と考えてみる

 

 

でも、

車によって祖父に会えなかった私は、

車を手に入れたいと思っているのだろうか。

 

それでも、

もっと遠くへ、

自分だけの空間で、

自分の色の車で行ってみたいと思う

 

 

でも…

 

自分の車、

私は欲しいのだろうか。

 

 

雨が見える透明の傘で

隠れられないけれど、傘に隠れて

いろいろ、考えてみる。

 

 

 

 

それでも、笑顔でいること

今日も曇り空ですね。ほんの少し、息苦しい気分です。昨日に引き続き、もう少し、普段の自分が思うことを書いてみようと思います。

 

 「私より辛い人がいる、だからこんなことで苦しんでいては」という言葉があります。もちろん、私もそう思うことが多いです。地球のどこかで、水を運ぶことが仕事だとされ、学ぶ時間を与えられらない女の子、児童労働で自分の時間を持つことを許されない子どもたち、虐待を受ける子ども、体罰を受ける子ども、あらゆるハラスメントに苦しめられる人々。私の知らないところで命を絶とうと考えている人たち、そういった、私の知らない場所で、私以上に苦しむ人がたくさんいます。だから、私の息苦しさなんて、なんてことないだろう、と思うことがよくあります。

 

でも、私が息苦しいと思っていることは、私にとって「なんてことない」と片付けられないことなのです。それに向き合うしかないと、向き合っていかないと、私は小さく消えていってしまうと思います。もしもそれを片付けてしまったら、私が「私」として生まれた意味がなくなるような気がします。なんてことないなら、無機質な物と同じになってしまう、そう感じてしまいます。

 

どうして息苦しいのだろうと、のどの奥が詰まるようになるたびに考えてしまいます。そして、それは自分の中にある影のことなんだと気づきます。いつも体のどこかに影の自分がいます。今までの辛かったこと、あらゆるものを傷つけたこと、今までの道徳をもたない心、そういったことが自分の中に影としてあります。ずっと、長い間、影から目を背けてきました。今のまま、これからを考えたほうが明るくなれる、と考えていたからです。影の自分なんて追い出してしまえ、と思っていました。しかし、本当は影の自分に向き合って、影の自分を追い出さずに、居場所を与えることが大切なんだろうと気づきました。影に向き合わない限り、そこにある光にも気づけないと思うからです。自分の中の影にどう向き合い、どう受け入れ、どう対応していくか。ふと息苦しくなった時に考えたりしていることです。

 

自分の心の中にある影は、他の人にはない、自分だけの財産だと思います。過去のことも今のことも、どんなに嫌なことも忘れずに捨てずに、いつまでも大切に持っておく。いつか、そのおかげで今の自分があるのだと気づくことができます。その影でいつか救われることもあると思います。その影を越えるためになんとか動いて、その影を越えたからこそ得たものがある。今では、自分の影にこそ、そこに魅力が、個性が、あるのかもしれないと思っています。 

 

私は自分の影の部分を知っているから、素直に明るい性格だと言えません。でも、「明るいね」と言ってもらえます。そう言ってもらえることは複雑に思えても、私にとってはとてもうれしいことです。影の部分を持っていても、外には影は見えていない、そう思いました。見えていないなら、居場所を与えて、自分の中に大切に持っていたらいいのかもしれないと気づけました。

 

影の自分を追い出さない。どんな自分も追い出さないで、大切に守ろうと思います。自分が自分を守って、自分が自分にとって一番の親友でありたいと思います。時には、自分が自分に厳しく接して正す。時には、自分が自分に声をかけてあげる。自分だけはいつまでも、決して裏切らない親友でいよう、そう思います。

 

私は、影の自分を持っていながらも「悩みがなさそう」と言われるくらい、いつも笑っていたいと思います。いつも笑って、笑顔でいて、明るい自分でいたいと思っています。それでも、いつも笑っていても、しんどくなったら影の自分に会いに行く。 そうやって、自分の中にある影をいつまでも大切に持っておこうと思います。

 

そして、かつて私が、無条件に包んでくれる風に心が救われたように、いつか誰かを救えるような太陽の光になりたいと願います。できれば、からっからの太陽の光ではなく、少しほんのりと湿ったようなあたたかさをもった太陽の光のような存在になりたい。風に救われた私は、いつまでもその気持ちを忘れないように、風を楽しめる服を着続けます。そんなふうに、ずっと一緒にいたいと思ってもらえるような太陽の温かい光になりたい。

 

今の自分が温かい光になれたなら、過去の自分もきっと、辛くても、生きていてよかったと言ってくれるはず。水の中でずっとうずくまっていたころ、太陽の光はあわいものしか知らなかった。でも、いま、水の外に少し顔を出して、直接太陽の光を浴び始めることができました。 ブログをはじめたことで、かつて褒められることがなかった私にも、たくさんの温かいコメントや誉め言葉を頂けるようになりました。今までかけられたことのないような、こんなにもあたたかいコメントをたくさんもらって、水の外に出られるようになりました。本当にありがとうございます。心から感謝しています。水の中で感じていた息苦しさは、少しずつ消えていくと思います。私の見えていた曇り空には、少し太陽が見えてきました。

 

いつか、頂いた温かい優しさを私も返していけるでしょうか。

今はまだ水の外に顔を出せたくらい、でもいつかきっと水の中から外に出て、「ありがとうございます」と伝えに行きたい。その時までは、待っていていただけますか。

 

それとも、あ!あそこにいる!と言ってもらえるような光になって、周りを照らすことができるくらいに成長する、それが、一番のお返しなのかもしれません。そのために、どんなときも、笑顔で笑っていようと思います。見つけてもらえたその時、あの時のお返し受け取ったよと、心の中で思って頂けたら、私の願いも叶ったことになります。いつまでも、どんなときも笑顔でいよう。これからの、自分にとって一番大切な目標です。長い駄文を失礼しました。ここまで読んで頂きありがとうございます。

 

息苦しい、しんどい、

それでも、笑顔でいよう。

 

影の自分がいても、

思いっきり明るい太陽になりたい。

 

それでも、笑顔でいる

それでも、笑顔でいたい

 

ずっと笑っていよう。

いつまでも照り続ける太陽のように。

 

私が小さな幸せに気づいて、それを大切にする理由

小さい頃から長い間、何を伝えても何も伝わらないことでよく泣いていました。今でもあまりにも息が苦しくて、声が出ないこともよくあります。自分にかけられる言葉がしんどいと相手に伝えたいのに、のどの奥に大きな石がふさいでいるようで声が全くでない、そんな状況に今でも陥っています。少しずつ言葉を得たり、いろんな本を読んで救い道を探したり、たくさんの考え方からどう生きていきたいか考えて、思って、苦しんで、そうして少しずつ息苦しさから離れられるようになりました。

 

でも、小さい頃は今の自分以外何も知らない。だから、どんなに伝えようとしても言葉で圧され何も言わせないようにされてしまう。そのおかげで、何度もぜんそくで入院しました。これでまた何か言われるとおびえていたことは今でも思い出せます。

 

中学生にして、精神的な本も、自己啓発の本もたくさん読みました。発想の転換がないと越えられない期間だったのです。あらゆる発想で何度も救われました。もう幸せかも、と思えるほど考え方を成長させた頃、でも、求めているのはもっと奥深くの何かではないかと疑問を持ち始めていました。どんなに幸せだ、と思えても、自分にとって一番大切なことは、伝えていたいことを家族に伝えてきちんと伝わることなんだろうと気づきました。

 

小さい頃から、そして今でも、私が話すたびに、かぶせるようにして大きな声で自論を展開する両親がいました。今までに私が伝えたいことを伝えたいまま話し切れたことはあっただろうか。今までのたくさんの「決めつけ」によって、どれだけ自分の思いを捨ててしまっただろうか。感情的にならないように、発する言葉は少しだけ、といつもぐっとこらえて今まできました。私が必要以上に声を出せないのは、小さい頃から途中で止められたり、大人しか知らない言葉で論破されるようにされていたからかもしれません。

 

毎日毎日自分に「幸あれ」と願い、自分と向き合ってきました。 今でもストレスからか強い歯ぎしり(睡眠中)が残っていたり、目の下の痙攣が止まらないことも、激しい頭痛に襲われたりすることもありますが、今は小さい頃に比べて、十分過ごしやすくなったような気がします。どうすれば相手に伝えたいことを伝えられるか、長い間考えてきたことで少しずつ伝えられるようになったと思います。

 

少しずつ、明るい兆しが見えてきたのも、小さな幸せに気づけるようになったおかげです。息苦しいと思わなければ私は見つけようとしなかったと思います。もっと傲慢になっていたかもしれません。だから、見つけられるようになって嬉しい。見つけたら、もっと強くなれると今、感じています。気づけるようになったから、大切にしていきたい。大切にしたい理由はただそれだけです。

 

今までの期間はすべて修業期間で、その期間があったからこそ強くなれたといつか自慢できるようになりたいと思っています。むしろ幸運な子だったと思えたら、私は心の奥底から幸せになれると思います。

 

小さな幸せに気づいて、大切にして、その小さな種を心の中に植えていきたい。

いつか、自分の思うままに伝えられた時、たくさんの花が咲いて、心の奥底から幸せだと感じられるように。 

 

今よりももっと苦しくて、思いを伝えられなかった頃、風が自分に触れるだけで幸せでした。風だけは、平等にすべての人を包んでくれるんだなと思っていました。

 

そして、いつもスターを押してくれてありがとうございます。スターをもらうたびにとっても喜んでいます。周りの人々にとってはそれだけ?と思うことでも私にとってはどんなに小さなことでも幸せなのです。それだけで心から幸せになれます。

 

小さな頃から抱え続けた息苦しさを、なんとかまとめてみることで、またひとつ強くなれた気がします。曇り空の息苦しさと、今の息苦しさを感じ、心の息苦しさに向き合おうと今日はこんな記事を書いてみました。ここまで読んで頂きありがとうございます。

 

毎日の中であふれる小さな幸せに救われてきた私は、これからも私の周りにある小さな幸せを大切にしていきたいと思っています。

 

小さな幸せ、見つけていきましょう。

小さな幸せ、大切にしていきましょう。

 

 

 

おやつ。

 

小さい頃は、

いつもほんの少しだけ

小さなおやつを買っていた。

 

今は、その時よりも

大きくて高いお菓子を買える。

 

でも、「これにする!」と決めたとき、

このコインで、このおやつが買える!と思ったとき

今よりももっと幸せな気持ちだった。

 

あのときは、隣に並んでいたクッキーや

ケーキのようなお菓子を見て

「なんて高いんだろう」と思っていた

 

そう思っていたこと、

忘れたくないなぁ。

どんなにお金を得ても、

どんなにお金を失っても、

おやつを選んでいたあのときの気持ち、

忘れないようにしよう。

 

そうだ、

チロルチョコ一粒かってかえろう。

一粒で幸せになれたあのときのように。

口に入れて、にこっと笑って

「おいしい!」と言えたあのときのように。

 

その時を忘れないようにしよう。

チョコを手に入れた嬉しさと、

あの頃の景色と、一粒の幸せと。

 

形だけで手渡された高いお菓子より

ずっと、ずっと幸せになれる。

 

まつげの上に、

ふうっと、

まつげの上にのせられた小さな幸せ

 

おいしいたべものの香りに

あまいホットケーキの香り

 

やさしい声に、

やわらかくてあたたかい笑顔

 

好きなことばに

好きな空間

 

まつげにのっかる

はかなくてかよわい小さな幸せ

 

 当たり前に感じる幸せは

ほんの少ししかのらない

 

まつげからほろほろと落ちていく

 

そうして、また、

まつげにのっかるくらいの

小さな幸せを見つけていく

 

 

いつも、まつげの上に

小さな幸せをおいておくと、

きっと元気になれる

 

どんな瞬間も、

まつげの上に、

小さな幸せをのせることを忘れないように。

 

 

音と香りあつめ

アラームの音

 

リュックが開かれる音

物が詰められていく音

リュックが閉じられる音

 

階段を降りる音

静かな朝のリビングに飛び交う「おはよう」

朝の静かな話し声と、あたたかい朝ごはん

静かで、あたたかい香りのする朝

 

靴を履く音

ドアを開く音

ドアを閉じると、朝の香り

静かで太陽の光の音、香りだけがそこにいる

 

歩く音

道にひろがる金木犀の香り

 

心があたたかく、やわらかくなる音 

イヤホンをはずすと香るたくさんの香り、音

 

風の音

こわれかけのイヤホンのがさがさ音

 

 

駅に着く。

電車がくるアナウンスの音

電車がむかってくる音

到着した音。

 

電車内のむわっとした香り

電車が進む音

電車内のアナウンス音

 

人が動く音

 

扉が開く音

 

 

リュックにイヤホンが絡まる音

 

川の音、川にかかる太陽の光の音

太陽の光の香り

 

風景が電車を吸収していく音

線路が風景を吸収していく音 

 

イヤホンからきこえる、

つくられたリズムのよい歌の音

 

大人数がかいだんを移動する音

 

 …

 

授業がはじまる前の静かな音

扉が開く音

まだ続く話し声

 

「おはよう」の声

 

 マイクの音

教室に響く教壇に立つ人の声の音

 

消ゴムの音

ふでばこが開かれ動かされ中身を出され

閉じられる音

 

シャープペンの音

 

チョークが黒板で削れていく音

 

考える音

寝息の音

ルーズリーフが取り出される音

メモする音

走り書きする音

遅れて来る靴の音

 

ほんのときに鳴る着信音

発された雑談で空気がゆるみ、

ちょっとした笑い声

 

そして、静かな一時間半が過ぎる

水風船がはじけたように

教室にあふれる話し声

片付ける音

次の教室へ急ぐ足音

話続ける音

 

ひるの音。

まぶしいくらいの日差しの音と香り

 

食堂の音

あらゆる声が混じっていて、

ひとつの言葉に聞こえない

まるで違う言語圏のよう

 

いろんなごはんが、いろんな香りになって

ただよっている

 

 

図書館の音

館内を人が歩く音

誰かが本を選ぶ音

誰かが紙をめくる音

 

 

ものを動かすだけで響く音

 

椅子を動かす音

 

自分の音、うまく聞こえないけれど

聞こえてくる

これはだれの声だろう

夢の中の声

これは自分の声?誰か他の人の声?

 

 

夕方のどこか物足りない感じ 

音も香りも、

朝からするとすっかり枯れてしまったよう

 

電車の中には

イライラしている声の音

ハイヒールの鳴り響く音

怒鳴る声、優しい声、子どもの声

学生のローファーの音

ものが落ちる音

 

テキストを出す音

テキストを開く音

 

 悪口の音に、

 無邪気な声、無邪気な音

複雑なものをかかえた声と音

 

物思いにふける音

ため息の音

 

進路について語る不安げな声

進路について語る楽しげな声

 

おばあさんたちの楽しい笑い声

嬉しそうなにこにこ笑顔の音

 

懐かしい人にあった懐かしい香りと音、

 

にらむ人のビリビリ音

舌打ちの音、嘲笑の音

 

画面をタップする音、

画面をするするめくる音

 

ウェブページを開くと

文面にあるとげとげした音

 

停車中の電車の音

傲慢な声の音

 

 

信号の音

 

 

雰囲気からにじみ出る優しい音

雰囲気からにじみ出る不安げな音

 

幸せな、イライラな、あたたかい、音

 

心からのあたたかい声に

表面だけのざらついた声。

 

人と話していると、聞こえない音の数々

 

自分の心が高まる音

自分の心が不安げにゆれる音

 

 

あたたかい笑顔の音

作り笑顔のひんやりした音

 

 

葉っぱが重なりあう優しげな音

 

夕日の香り、夕日の音楽

夜の静かな香り、夜の音

 

秋の音、秋の香り

冬の音、冬の香り

 

道が開けていく音

 

山に注ぐ光の音

山に注ぐ光の香り

 

 

音の一日、香りの一日