「思考は現実化する」
まだ読んだことはない
でもふと思ったこと
みんなの思考が現実化するとき、
外の世界が内面の世界を表している
ならば、
すべてみんなの内面の世界であって、
みんなにとって共通の世界なんてあるんだろうか
みんなが見ている外の世界が、
ひとそれぞれの世界なら、みんなにとっての「共通」、「普通」なんて誰にも通じないだろうし、それに当てはまる人もいないだろう
みんな違う世界を見ている
その中で「同じ」を求めることなんてできるのかな
絶対に意味がない!と思うことでも、
それをやったほうが、
自分にとっても相手にとっても良い
それがどんな意味をなすかは自分ではわからないものだから
たとえばものをわたすとき、
すこしほほえんだりすること
意味がないから、意味がないならしない、
それはきっと自分にとっての利益のこと
自分に利益がないからしない、
それは自分に執着している気がする
何を意味するかは、受け取った相手にしかわからないもの
あふれるまま、ほほえむことができるようになれば、きっと、そんな利益や意味など考えなくなる
よっぽど楽しいときにしか笑顔を見せない
めったに笑顔を見せない
笑顔を無理に隠せば隠すほど、得られる笑顔も少なくなる
出せば入ってくる、と同じように、
自分が笑えば、いつか自分が笑ってほしいと思ったときに笑顔が返ってくる
それは自分がかつて笑顔を渡した人でなくても、確実に 笑顔は返ってくる
意味がないように思える笑顔に救われる人もきっとたくさんいる
おぼえていることが、
自分を作っているのなら、
新しい記憶を入れたら、
いくらでも新しい自分になる
なりたいと願う自分にすぐになれる
これから自分がどんなことを
記憶していきたいかで、
ますます自分が目指す自分になれる、
のではないかな…