月の葉っぱ

夜明けはもうすぐそこに。

独自性が彩りを

 

その人個人の得意なこと、

できることを見つけて、

ひとり、個人として生きる力をつけて、

独自性を前に出していく。

 

個人が力をつける

そこからみんなでそれぞれの力を使って、

さらに上を目指す

 

多くの人のためにつかわれたとき、

もっと個人の力は強くなり、

さらに上へとあがる

 

ひとりとして生きて みんなと生きる

 

みんなが自信をつけていく

 

それぞれが、

自分だけが見えている独自の世界観を

みんなが発信していけたら、

もっと彩りのある毎日が

みんなを彩りのある存在にしていく

 

独自性が彩りを。

考えることの笑い声

 

好きな笑い声と嫌いな笑い声があって、

嫌いな笑い声の中に、

げらげらと笑う笑い声がある

 

なんだかげらげらと笑うと、

浅はかなような空気が流れる

 

すべてのものごとを軽く見ているように見えてしまえから苦手

 

考えが浅い人が苦手といいながら

なんで苦手なのかと思ったとき、

きっと自分にもそういうところがあるから苦手なのかもしれない

 

 

ときどき、安易にものを考えたくなる

なんの根拠もなく、適当に簡単に決めたくなる

 

考えたくないときがある

考えたくないときもある

 

きっとそれは、  

失敗したときに、適当に決めたから、と言い訳したいからなんだろうな

 

自分の決定に 責任を持ちたくない 、

というただの怠けゴコロなんだと思う

 

笑い声にもきっと、人の側面が見えるのだろう

 

 

 

退屈な時間は想像力で

 

電車の中の退屈な時間

スマホでも音楽でも本でも、

癒されないときがある

 

ましてや、英単語帳など 触れる気もしない

スマホもおもしろくない、

どのニュースも、近くに来ない

遠くにあるような気がしてしまう

 

退屈な時間を過ごす力を 失った

 

いつも、電車の中では 本を読んでいる

でも、今日は置いてきた

いつも聞いているウォークマン

いくら聞いても今日は なんだか耳がしんどい

 

ウォークマンのイヤホンを丁寧にまとめたり、鞄の中を何度か整理し直してみたり

ただひたすら、外の風景を見て電車の音を聞く

 

小さいときは、頭の中が想像で溢れて

頭の中がうるさいくらいだった

 

でも、今はあまり何も聞こえてこない

いろんな情報にまみれて、

自分の声が聞こえない

 

退屈力はきっと、小さな頃はたくさんもっていたんだろうな。なんでも遊びに変えられる

 

その頃を少しずつ思い出しながら

退屈な時間を過ごせるようになろう

 

前までは、電車の中でいろんな人を見て、

想像を膨らませて、楽しんでいたりした

 

でも、今は なかなか想像できないし、

そんなことしてもなぁと思ってしまう自分がいる。意味を考えても仕方ないのに。

 

いろんなときをこえて、

いろんな情報にまみれて

いろんな考え方を教えられて

 

想像することの楽しさと、

想像する力を、

ずいぶん前から失いはじめていたのかもしれない

 

想像力を失っても困らない

そう言われるだろうけど、

今までもきっとこれからも、想像力は日常に彩りをもたらしてくれる。それを失ってしまったら、きっと悲しいつまらない世界になってしまう。

 

電車の中に、広告が何もなかったら

何があってほしいだろうか

 

電車の中の広告を見て、

何を思い付くだろうか

 

 

自分が今、この広告がなかったらと想像する

そうやって地道に想像力をきたえていこう

 

小さい頃の想像力を思い出すために。

 

かけてもらうコトバ

 

自分にかけてほしい言葉は

話しかける前から決まっている

 

もちろん、かけてほしい言葉を

かけてもらえたときはうれしいけれど、

それは正しいのかな

じぶんの考えだけになってしまうのかな

 

もし、その言葉を望んでいて

その言葉をかけてもらえないとき

人はがっかりしてしまう

 

ならば、本当にかけてほしい言葉

自分が自分にかけたほうが

自分の心は救われる  

 

それでいいと思う

またいつか自分も、相手が望む言葉を

かけられるような人になれたら、

きっと自分もかけてほしい言葉を、

かけてもらえるようになる

 

今は自分でじぶんに声をかける

 

 

でも、やっぱり人からかけてもらえる言葉の方がちょっぴり嬉しいな

 

 

 

さぁ笑おう!

 

賢い人ほどいつも笑ってる

いつも、どんなときも、どんなことからも

学んでいる。だから、いつも新しい学びに触れて、明るさに溢れて笑顔になっている

 

 

いやなことが起きても、

それに対する考え方は変えられる

 

明るく考えればいい、

でも明るく考えることは難しい

あらゆる考えを知っていて、応用させて、

客観的に物事を見つめる知性が要るから

 

悲劇のヒロインになる方が簡単

いやなところはいくらでも簡単に見つかるから

 

でも、いやなことのなかに、

何か自分にとっての学びや意味を見いだす努力をつづければ、 悲劇のヒロインになるより もっと楽しいはず

 

 

我が身を笑えないなら 他人を笑えない

自分の失敗談を笑って話せる人は強い

 

かつて自分の過去を笑って話せることはできなった。でも、今なら笑って話せる

 

なぜなら、そこにも多くの意味があって、たくさんの学びがあった 、そしてたくさんの思い出もあったと気づけたから

 

しっかりと受け入れて、

今はいつも、

昨日より幸せだから明日はもっと幸せだから

 

だから、過去を笑顔で話せる

勉強をがんばれなかった過去も私にとっての大切な思い出で、大切な学び

 

すべてを学びにかえて、

新しく学ぶことを楽しく感じながら

 

いつも笑っていよう

 

 

せんぷうきの音

 

扇風機を長い時間つけていて、

ちょっと寒くなったからと、切ってみたら

 

突然、びっくりするほどの静寂がやってきた

突然静かになって、音がないことがとても寂しく感じられた

 

扇風機が長い時間

ちょっとしたBGMになっていたんだと気づいた

 

ただ風を送っているだけに思えた扇風機は、

静寂を少し消す音の役割にもなっていたんだなぁ

 

深夜だとなおさら、扇風機の音がありがたくなる。こわいくらいの静寂をきっと、打ち消してくれるから。

 

あと、扇風機があって、

その音がないことによって、

普段気にしない静寂に気づけたり

 

どちらにしても、静かな時間を

気づかせるものなんだ、とふと思った

 

 

 

お金を出すときの後ろ姿

 

財布からお金を出すときの後ろ姿

 

街の中にはいろんな後ろ姿がある

スマートにカードを出す人もいれば、

背中を丸めて小銭を必死に探したり、

焦りながら支払っていたり、

小さな子が小さな財布から出していたり 、

 

少しお金を持ちはじめて堂々と支払う大学生だったり、

 

小銭を丁寧に置く人と

お札をばんっと置く人

いろんなひとがいる

 

 

でも、一番きれいな後ろ姿は、

やっぱり店員さんに笑顔を向けているとき

 

それは前面も見えているけれど

後ろ姿にも優しさが表れている

 

後ろ姿ですべてわかるわけはないけれど、

あの人元気そう、今自信をなくしてそう、

など、人の側面が少しだけ見えたりする

 

 

それがお金を支払うときに

一番あらわれるのかもしれない

人の心を振り回すお金に触れているとき

人の心があらわれたりするのかも

 

 

見られてなさそうで、

見られている姿が、一番、

自分の心をあらわしているのかもしれない

 

と思って、少しドキッとした